喜多川泰『君と会えたから…… The Goddess of Victory』★★☆(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006/2007-7)

青春小説仕立ての自己啓発本。無理矢理自己啓発部分を押し込んでいるので、ぎくしゃくではあるのだが、高校生の恋にミステリー的要素も絡めて悪くないつくりだ。若い人がとっつきやすいように、と考慮してのことだろう。

適当に書きだしてしまうと説明不足は否めない。あっという間に読めてしまうので、目を通しておいて損はない(と、じいさんでも思った次第)。

人間は未来のことを考えるときに、
うまくいったらこうなるということ以外に、うまくいかなかったらどうしよう、
それどころか、どうせうまくいくはずがないといったこともいっしょに考えてから、
自分のやるべきことを決めてしまう。
大きな夢を抱けば抱くほど、そうだ。
そうしてうまくいく確率のほうが低いと決めつけ、夢に向けて行動を続けることを、
宝くじと同等の非常に確率の低いものに投資する行為と見なしてしまう。
そして結局、夢へ向けての行動をとろうとしない。


しかし、それは間違っている。
もし、すべてがうまくいくとしたら、
絶対に欲しいものが手に入ると約束されているとしたら、
あなたは、何を目標とし、それに向けて何をしますか?
あなたは、知っていますか? あなたにはそれが約束されていることを。
すべてがうまくいくとしたら、絶対に欲しいものが手に入るとしたら、
と考えたときに出てくるものこそが、
あなたの本当にしたいことであり、必ず達成できるゴールだ。
むろん夢を抱くだけでは、どんなに強く思っていても達成などできない。
大切なのは行動だ。
もちろん、とてつもなく大きな夢を三日で達成するのは難しいだろう。
大きな夢なら、それを達成するために必要な時間もまたおおくなる。
しかし、手に入らないものではない。


私たちの未来の夢は、絶対に手に入ると狂おしいほどに信じて、
それに向けて情熱を絶やさず行動を繰り返す限り、
それがどんなに大きい夢であっても、
必ず達成されることが約束されている約束の地であり、
それを確率の低いものにかえてしまっているのは、
冷静な分析と称して行動することもなく、
頭の中で繰り返される消極的な発想にほかならない。(p.31)

成功したとはいいがたい人生を送ってしまった私だが、ここに書いてあるようにしていたら、と思えてしまうのが不思議だ。目標を設定してやってきたのだったら、無計画なわが人生を後悔半分で振り替えざるを得ないからなのだろう。

と同時に、これからの心配(老後の生活ってやつでさ)がどうしても付いてまわる今のこの自分は、そうはいっても、自分が願ったところにかろうじてぶら下がっていると思うからでもある。

金はなくとも映画と本、他にも好きなことに囲まれて生きているわけで、きっとそういう方向に行くようなことには多少なりとも努力してきたのだろう、と思い当たるのである。両方共、自分が蒔いた種なのだ。

まあね。それと、この本を若い人向け、と決めつけることだってもちろんないわけで……。

「二枚目のライフリストには、自分の人生の中で他の人たちにやってあげたいことを書いていくの。これを作ってからパパは一枚目の内容を徐々に実現していくことができるようになったって言ってたわ。
 この二枚はね、関係ないように見えて、実は表裏一体。合わせて一つのものなのよ」(p.66)

一枚目は「人生において達成したいと思えることをすべて書きだしてみる」のだったが、それは「『できたらいいなリスト』ではなくて『できることが決まっているリスト』」(p.56)なのだと。

って、こんな説明だと混乱するだけか。

「そう。二枚目のリストに書いた今日できることは、本当に今日やらなければいけないの。そのために一日一回は自分でリストを見てチェックするの。『今日できるのはどれかな』って。
 毎日見ているだけじゃなく、内容を増やしたり、書き変えたり、修正したりと、手を加えてどんどん新しいものに変えていくことも大切。でも何よりも大切なのは、リストがどう変わっていこうとも、今日できることをちゃんとやるということなの」
「そっか! じゃあ僕が二枚目のリストを書くときには、今日できる、人にしてあげたいことと、将来的に人にしてあげたいことに分けて書いてみることにするよ」(p.72)

あー、これだな、私の一番駄目なところは。頑張っているのに、何かの拍子にそれを先送りしてしまうところがあるからなぁ(今や、これ以上先送りすると私の場合、そこは墓場だったりもするのだろうけど)。

『お金を儲けるということは、〈ありがとう〉を集めるということだ』(p.90)

 ところがこの日を境に、僕の考え方は大きく変わった。儲ける方法ではなく、『ありがとう』をもらう方法を考えるようになったのだ。
 儲ける方法を考えていた頃には、そんな都合がいいものが頭に浮かぶことなどなかったのだが、人から『ありがとう』をもらう方法となると、いろいろな案が浮かんでくるのも新鮮な驚きだった。(p.94)

資本主義は機能しなくなってきているし、もっと身近なことで考えてみても、何もかもお金に換算するというのは便利このうえないが、やりきれないものがあるのは誰もが思っていることだ。「〈ありがとう〉を集める」ことで本当に解決できるのかといえば、やはりものすごく難しいのだけれど、考えてみる、いや、やってみなくてはいけない、ことだと思うのである。

資本主義に代わるシステムが何かはもう何年も宿題のようになっているが(といったって学者でも政治屋でもないから、これは妄想みたいなもの)、「〈ありがとう〉を集める」はその補完になってくれそうだ。

ただ、やはり年をとってきたせいか「〈ありがとう〉を集める」は、やはり若者用かなあ。すでに人間関係などの社会的位置が確立されてしまっていると、そう簡単にはありがとうも機能しそうもないからで、でもこれを若者がやったなら、案外大きな可能性が開けそうではないか。