喜多川泰『「手紙屋」〜僕の就職活動を変えた十通の手紙〜』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007-1)

私は、希望される方と“手紙のやりとり”をすることを仕事としています。(p.22) 『君と会えたから…… The Goddess of Victory』と同じく、これも小説形式の自己啓発本だ。で、今度は「手紙屋」だって。確かに、手紙形式なら、自己啓発の方法や考え方は伝えや…

喜多川泰『君と会えたから…… The Goddess of Victory』★★☆(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006/2007-7)

青春小説仕立ての自己啓発本。無理矢理自己啓発部分を押し込んでいるので、ぎくしゃくではあるのだが、高校生の恋にミステリー的要素も絡めて悪くないつくりだ。若い人がとっつきやすいように、と考慮してのことだろう。適当に書きだしてしまうと説明不足は…

北尾トロ『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫、2006年)

それはまだいい。最悪なのは服装だった。 仮にも裁判である。公式の場である。持ってなければスーツを着ろとは言わない。トレーナーにジーンズでもいいだろう。 でも、黒いトレーナーの右腕と背中に白ヌキでドクロのマーク入りってのはシャレにならんだろう…

アラン・ムーア、デイブ・ギボンズ『WATCHMEN ウォッチメン』(小学館集英社プロダクション、2009年)

世界は偶然の塊だ。パターンなんて、見る者が自分の空想を押し付けただけだ 本当は意味なんかありはしない この最低の世界を創ったのは、形而上学的な超越力じゃない。子供を殺したのは神じゃないし、その死体を犬に喰わせたのも運命なんかじゃない 俺たち人…

過去、コソボが独立国として機能していた歴史は無く、また民族自決という観点から見ても、そこには矛盾がある。クルドやチベットの例を出すまでもなく、国を持たぬ民が独立を希求することを民族自決と定義するならば、コソボの場合は隣にアルバニアという「本国」がすでに存在している。今年春、州都プリティシュナの人々に、貴方は何人か? と手当たりしだいに聞いたら全員が「アルバニア人」と答えた。なるほど文字の表記や行政参加の民族配置もセルビア人のために配慮はされているが、有機的に機能はしていない。

青春と読書(集英社)2008年12月号、p.63 木村元彦「ノーベル平和賞とはなにか? ――マルッティ・アハティサーリ受賞によせて」「日本ではほとんど報道されなかった」というコソボにおける力関係の反転。こういう反転は、いとも簡単に起きる。 同一民族による…

かつて彼には宿敵「ゑ」がいた。隣の「わ」行でひときわ異彩を放っていたうえ、形状的にも「ん」に似たところがある「ゑ」は目ざわりな存在だった。おまけによく見ると「る」が自分を踏みつけているようにも見え、それが「ん」の自尊心をいたく傷つけた。だがその憎い「ゑ」もいまは亡い。くだらない小競り合いや馴れ合いに明け暮れる他の字どもはもとより敵ではない。意外と気にするのは「み」あたりだが、これもまあ最終音という自分の切り札をもってすれば恐れるに値しない。何といってもこれは、しりとりを一瞬にして終わらせるほどの特別の魔力

ちくま(筑摩書房)2008年11月号、p.65 岸本佐知子「ネにもつタイプ 連載・81 やぼう」50音には「あ」行や「か」行などという区分けとは別の種族が存在するという。んで、それ相応の確執(「ん」の場合は野望らしい)や近親憎悪に同族意識と、どこぞの世界と…

彼は生涯、童貞を貫いた。

――という一文を、幕末の思想家・吉田松陰を語る文面の中に、私たちはしばしば見つけることができる。その文言は、たった十行ほどの紹介文の中にも我が物顔でおさまっており、彼の残した数々の業績を浸食している。「松下村塾を開いた人」と同じくらいの比重…

歴史的な産物といってしまえばそれまでだが、一九四五年以前に生まれた世代に、日本式の名前が目立つ。太郎、秀雄、一雄、花子、秀子といった名前が、ハングル世代の先陣グループにかなりみえる。統計をとったことはないから、たしかな数字は判らないが、すくなくはない。

「自分の(日本式)名前は、韓日の不幸な歴史の生きた証拠だと思っています。それをしょって生きていますが、日本の国のことはまったく判りません」 と、いうかれらが、ハングル世代の先陣グループに多いとは、皮肉な現象である。それは運命のいたずらなのか…

魯山人以前の日本料理は、膳に載せてすべての料理を一度に出していた。それを熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに供するために、一品ずつ出すようにしたのが魯山人である。

月刊百科(平凡社)2008年8月号No.550、p.2 山田和「魯山人を食べる」画家や陶芸家などとしてならまだしも(ホントにまだしも)「美食家」北大路魯山人って、「美食家」とついた時点で私的にはどうでもいいや、になってしまうんである。というか、魯山人につ…

「限界集落」と呼ばないで

朝日新聞2008年6月18日 宮崎県、新名称を募集(署名記事:菊池文隆) 高齢化が進み、共同作業を続けるのが困難とされる地域を指す「限界集落」の名称について、宮崎県は「生活している住民の意欲を失わせ、社会に間違った認識を与えかねない」として、新呼称…

ふたりは顔をまっかにし、汗をたらし、腕をふりあげふりおろし、コブシをつくったりハサミをつくったりパッとひらいたりした。ホイホイホイよ、アイコでチョキよ、パーチョキグーよ、おつぎはグーよ、ヘナヘナパーよ。

北杜夫『船乗りクプクプの冒険』(角川文庫、S44、p.112)ヘナヘナパーよ、っていいなぁ。今後常用してしまおう。この文庫の解説は井上ひさしで、こんなことを書いている。 番組が終わったからこんなことが言えるのだが、最近までNHKから放送していた「ひょ…

労働して、納税して……

テレビ「報道ステーション」 光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんが、判決後の記者会見で「今後どうやって生きていくか」と問われて答えていた言葉。テレビでみたので私の記憶がいい加減だと本村さんに悪いのだが、たしかそのあと「誠実に生きていきたい…