歴史的な産物といってしまえばそれまでだが、一九四五年以前に生まれた世代に、日本式の名前が目立つ。太郎、秀雄、一雄、花子、秀子といった名前が、ハングル世代の先陣グループにかなりみえる。統計をとったことはないから、たしかな数字は判らないが、すくなくはない。

「自分の(日本式)名前は、韓日の不幸な歴史の生きた証拠だと思っています。それをしょって生きていますが、日本の国のことはまったく判りません」
と、いうかれらが、ハングル世代の先陣グループに多いとは、皮肉な現象である。それは運命のいたずらなのか、それとも歴史の一齣なのか、それはともかく、ハングル世代を抜きにしては韓国を語れない時代を、わたしたちは迎えているのである。
金両基
『ハングルの世界』(中公新書、1995、p.64)

北京行きに持って行った(中国に何でハングルの本なんだ!?)ものの、図書館本を優先しなければならなかったりで、今日読み終わったのだ。

ハングルの入門書だが、私のように語学として覚えるのではなく(本当は覚えたいけれど無理なので)、大まかな知識として知っておきたい者にとっては最適の一冊である。初版は1984だから、日韓関係やそれをとりまく環境も当時とはずいぶん変わってきているが、だからよけい興味深い話が多かった。

080901-125