2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

もうひとつは、「鎖国観」をはじめとして、近現代が江戸時代をどう誤解しながら描いてきたか、の歴史をまとめることである。そこに見えるのは江戸に対する近現代の幻想(私自身の幻想も含め)の歴史ではないか、と思う。なぜ全人口の六%しかない武士ばかりが時代劇や時代小説の主人公になり、ほとんど起こらなかった剣の抗争を展開するのだろうか? なぜ「武士道」という江戸時代には存在しない概念が、日本人の誇りの核心のように論じられ、世界に宣伝されたのだろうか等々、不思議なことはたくさんある。

図書(岩波書店)2008年8月号、p.23 田中優子「江戸に新しい物語を」渡辺京二の『逝きし世の面影』を読んで、江戸時代の日本人というのは今の私たちとはまったく違う人種?だったのかもしれないと思ったものだが、田中優子もそういうようなことを別な角度か…

大人になるというのは、一人で眠ることじゃなくて、眠れない夜を過ごすことなんだ。

西加奈子『さくら』(小学館、2005、p.142)私向きの本ではなかったが、一応読んだ記念に一行だけ。080830-123

昨今、家の手伝いをする子供というのは棲息するのだろうか。

月刊百科(平凡社)2008年8月号No.550、p.28 陶智子「日本人のお作法3」そりゃ言い過ぎです。けど一瞬ながら、どうだろ、と。以下は上の続きの文。 私が子供の頃、一日のお手伝いのスケジュールがあった。それは、朝早起きをして玄関の前に届けられた新聞と…

魯山人以前の日本料理は、膳に載せてすべての料理を一度に出していた。それを熱いものは熱いうちに、冷たいものは冷たいうちに供するために、一品ずつ出すようにしたのが魯山人である。

月刊百科(平凡社)2008年8月号No.550、p.2 山田和「魯山人を食べる」画家や陶芸家などとしてならまだしも(ホントにまだしも)「美食家」北大路魯山人って、「美食家」とついた時点で私的にはどうでもいいや、になってしまうんである。というか、魯山人につ…

十代の頃、好きだった女の子が部活で骨折をしたときに、カルシウムを摂取して早く治りますように、的な意味を込めて、ビスコをプレゼントしたことがある。そのセンスはなかなかのものだったのではないかと、今でもひそかに思っているし、あれは忘れられない贈り物であるけれども、ところでこのエッセイのお題の意味するところが、あげた贈り物のことについてではなくて、もらった贈り物について書けということだというのは、承知しています。

ポンツーン(幻冬舎)2008年8月号 No.119、p.90 岡田利規「忘れられない贈り物 辞書と献辞」ナニこの文、と投げ出すほどには長くなく(たった2ページ)、だからか、また最初に戻って、で、計5回は読んでしまったような。「しかし人間、してやったことは忘れ…

本書に登場するマッチラベルは、不思議に思われるだろうが全てメイド・イン・ジャパンである。特に明治末期から大正初期あたりが最盛期で、国内向け以上に海外へ輸出しており、華商などを通して中国、インド、ロシア、東南アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカまでも行き渡っていた。マッチとしての機能も優秀であったし、輸出用のものは仕向け先の嗜好、生活習慣に合わせて描いた図案は、日本独自の浮世絵の技法を身につけた絵師の巧みさもあって、当時、独特のブランド柄を築き上げ好評を博していた。ただ所詮、低賃金のうえ家内手工業的

加藤豊所蔵編『マッチレッテル万華鏡』(白石書店、2001、p.3)マッチラベル話の続き。この本に収められたマッチラベルは約6000点だそうで、驚きの意匠が並んでいる。 自転車を漕ぐ象(どんな自転車なんだ!と思うが、ペダルとかはよくわからんのだな)、体…

シーソー象のお話しからも分かるとおり、たかだかマッチのラベルとはいえ、そこに描かれている風景は実に自由自在だった。蛙がウクレレを奏で、カモノハシが金槌を飲み込み、ひよこはパイプをくゆらす。郵便配達人が貝殻で海原を航海するかと思えば、お亀と福助は玉乗りに興じ、サンタクロースは泉で沐浴する、といった具合だった。そこにはデッサンの土台も遠近法も、もちろん理屈もなかった。ただそうしたものたちが、四角い狭い空間に、素朴な線と色で印刷されているだけなのだった。

小川洋子『ミーナの行進』(中央公論新社、2006年、p.114)本には寺田順三(装画、装幀)のマッチラベルも色付きでページの合間にいくつか載っていて、これはこれで素晴らしいのだが、奇抜さでいったら実際(といってもすでに骨董品みなたいなものか)のもの…

人間は感情の生き物である。

しかし、すべての人が同じ数だけ感情を持ち合わせているわけではない。 言葉が関係するのかもしれない。 名前のつかない感情は存在しないに等しい。言葉を知らなければ、自分の中にある感情は感情として立ち上がってはこない。そういう場合は、何らかの行動…

月より400倍大きい太陽が、ちょうど400倍遠くにある。

朝日新聞2008年8月22日夕刊、13面 辻篤子「偶然の贈りもの」(窓 論説委員室から)これ、わかりやすいや。「月が太陽を完全に隠す皆既日食が見られるのは、この配置の妙のおかげだ」と。日食は、太陽と月が重なるという偶然以前の偶然の産物なのね。080823-1…

だいたい警察官乗車の白チャリにしても、いまだに大多数は歩道を通りつづけているではないか。彼らにとっても“歩道”と“自歩道”の区別など、なきに等しい。

一冊の本(朝日新聞出版)2008年8月号、p.5 疋田智「“たかが自転車”のことだからといって、こんな二枚舌がまかり通っていいはずがない」夏前だったかなぁ、銀座の歩行者天国で怒られちゃったのね、若い警官に。歩行者天国が自転車禁止なのはとっくに知ってい…

少女の笑顔が陽射しの中で回っている。

なんて楽しそうなんだろう。 巽はその表情に打たれた。 思いつくままに身体を動かしているのだろう。ポーズそのものは稚拙だし、子供みたいにあどけない。けれど、その動きは伸びやかで、同じ世代の巽から見ても、天真爛漫な若さに溢れていて、ずっと眺めて…

千惠子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ、 私は驚いて空を見る。 櫻若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 千惠子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる障u…

環境問題の論客、中西準子さんがホームページで、いまの北京の大気汚染よりも64年の東京五輪の時の方がひどかったのではないか、と書いている。

朝日新聞2008年8月15日夕刊、15面 伊藤智章「北京と東京、五輪の空」(窓 論説委員室から)中西さんは「空気が悪くてせきこんだり、汚れた川に近づけなかった」らしいが、記者には「澄んだ青空の開会式に代表され、輝ける成功体験の印象が強」かったようだ。…

そうだ 京都、行こう。

お馴染み、JR東海の京都観光キャンペーンのキャッチコピー。昨日「そうだ雑誌を買わなきゃ」と書いたことでの安直連想だけど、そのくらいこのキャッチコピーが浸透しているってことでもある。パターンは変えているにしてももう長いし(15年位やってるよね)…

雑誌にお作法はございません。

一、前からだって、後ろからだって読んでいい。 一、丸めて読んでも、折って読んでもいい。 一、好きなページは切り取ったっていい。 一、突然の雨のときには、傘にしたっていい? 東京メトロ丸ノ内線の車内吊広告雑誌愛読月間(2008.7.21〜8.20)の広告なん…

すべてを勝利にささげた孤高の若者。こんな男が、まだ日本にいた。

朝日新聞2008年8月16日、1面、署名記事(柴田真宏)男子柔道100キロ超級で金メダルを取った石井慧についての記事の〆の文。「こんな男が、まだ日本にいた」と、文章的には感激しているようだけど、私など、まあ、いなくてもいいかな、と。いやいや、立派な成…

ところが1970年代当時、猫の写真といえば、毛の長いペルシャ猫やシャム猫などを室内で撮影したようなものか、バスケットに入った子猫が驚いたように目を丸くしている写真でなければ、猫の写真としてかわいいと認めてもらえなかったのです。ぼくもそういう「かわいい猫」と呼ばれる写真も撮ってはいましたが、家の外で出会う猫の撮影を大切にしていたのです。野良猫と呼ばれるような猫の写真は、なかなか雑誌や本に使ってもらえないのが、その頃の現実でした。

岩合光昭『猫さまとぼく』(岩波フォト絵本 岩波書店、2004、p.9)今のような猫(写真)ブームがやってくるとはねー。そういえば、80年代のはじめには「なめ猫」なるものも流行ったよね。暴走族の格好をさせられた猫は、虐待ではなかったというのだけど、そ…

向前一小歩 文明一大歩

中国にいると、同じ漢字表記なのにやっぱりわからないことが多くて、混乱することが多いのだが(簡体字ということもある)、これは単純に「一歩前へ出ることが文明への大きな一歩」という意味だろう。故宮のトイレに、スーボ(嫌いだったけど、懐かしい)も…

中国加油! come on

何故か、オリンピック観戦ツアーに当選(私じゃない)、の同行、で昨日から北京にいる。「加油(ジャーヨウ)」は、新聞のオリンピック記事で、北京に来る前からお馴染みとなった言葉(というより文字か)だけど、観戦ツアーに組み込まれていた試合は中国選…

たまに食べる焼肉のように、中年になっても恋愛小説を読もう、と思った。

星星峡2008年8月号no.127、p.73 ばばかよ「恋愛から遠ざかっていたわたしのひさびさの胸キュン」(山崎マキコ『盆栽マイフェアレディ』書評)ちゃんと最初の方で「脂のからまった焼肉と同列に並べるには異論のある方もいるでしょうが、味わえるなら何度でも!…

いつのまにか、雑誌は大変なことになっていたらしい。日本の雑誌の販売部数は95年をピークに減り続け、07年には推定約26億冊と3分の2に。販売額も97年の約1.6兆円から10年連続で下がり昨年は約1.2兆円に落ち込んだ。昨年休刊した雑誌は過去最高の218誌で、06年から2年連続で休刊誌の数が創刊誌の数を上回った(出版科学研究所調べ)。

朝日新聞2008年8月4日夕刊「雑誌はどこへ1 デジタルな未来 その一」(署名記事:山口栄二)記事ではデジタル雑誌の無料化の流れに触れているが、フリーぺーバーの存在も大きそうだ(これについてはそのうち出てくるのかも)。今ではフリーチョ(https://www.…

田舎や自然は、正直好きといえば好きなのである。ただそれが今のところ自分の商売と関係ないというか、むしろ商売の邪魔というか、そういうジレンマはある。たぶん僕のパブリック・イメージにエコやロハスやスローライフはない。そういう下手すると偽善キャラというより、嫌われてナンボの分かりやすい偽悪キャラなのだ。絵だってわざとらしいくらい軽薄で毒々しい蛍光色を好んで使う。だからロリコン雑誌から取材は来ても、『ソトコト』からは絶対に来そうにない。

星星峡2008年8月号no.127、p.61 会田誠「濃かれ薄かれ、みんな生えてんだよなぁ…… 東金の暮らし(後編)連載エッセイ10」「商売の邪魔」ねぇ。それはそんな気もするけど「偽善キャラ」<「偽悪キャラ」。え、そんなことは言ってない。080803-103

円空と木喰の残した木彫は「巨匠」の名をかぶせるにはあまりにも自己流である。だが生涯を民衆のための布教に捧げた二人の仕事の豊かな全体を考えると、巨匠という呼び名もあながち的外れではない。

東京国立博物館特別展『対決 巨匠たちの日本美術』会場の展示説明プレート(に名前はなかったが、展示室に置いてあったカタログに辻惟雄による同じ文が載っていた)実物を見たのは多分初めて。最近、彫刻のよさがわかってきた私である(ホントかよ)。080802…

だいたい、みやげって高い。ハーゲンダッツが四個買えるお金と引き換えに、うまいかまずいかわからず、しかもかさばって移動の邪魔になる「みやげ用」の菓子を手に入れることの意義って何? おまけに田舎じゃ、食べあぐねた「みやげ菓子」があると、箱ごと親戚や近所の人に押しつけたりするではないか。みやげの周辺は非効率で満ちている。

R25(リクルート)2008年7月31日、No.76、p.40 豊島ミホ「やさぐれるには、まだ早い! 第38回 みやげの存在意義」そうだ、そうだ、って読んでいたら、最後は「今年の夏は、ちゃんと地元で選んだ『おみやげ』を持って帰ろう」だって。なんだい、せっかく「み…