小栗左多里『プチ修行』★★☆(幻冬舎文庫、H19/H22-3)

修行の途中、座禅を組みに行ったお寺で気がついたことがある。お寺にいる人が誰一人、幸せそうな顔なんてしていないのだ。長年修行している人も、幸せどころか世界中の不幸をしょって立っているみたいな感じである。どう考えてもその辺で犬を散歩させている…

大沼紀子『真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ』(ポプラ文庫2011-10)★★☆

期待しつつ前半を読み進むが、後半に失速、というか、あくまで私の好みの問題なのだが、この手の話はどうも、なのだった。托卵娘?の高校生である希美の宿(托卵先)となったパン屋の二人と、そこにやってくる人物たちが織りなす現代版人情話みたいなものが…

恩田陸『蒲公英草紙 常野物語』(集英社、2005年)

子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズというのがあった。宇宙旅行中に地球に漂着し、高度な知性と能力を隠してひっそり田舎に暮らす人々を、そこに赴任してきた女性教師の目から描くという短編連作で、穏やかな品の…

恩田陸『光の帝国 常野物語』(集英社文庫、2000年)

『大きな引き出し』『二つの茶碗』『達磨山への道』『オセロ・ゲーム』『手紙』『光の帝国』『歴史の時間』『草取り』『黒い塔』『国道を降りて…』の十篇からなる「常野一族」を扱った連作。常野という言葉が示すように、彼ら「常野一族」は特殊な能力を持ち…

 太田光、中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)

太田 先ほど中沢さんが、日常のささやかなコミュニケーションも誤解だらけだと言いましたが、そこにはもう一つ大事なことがあると思うんです。僕が何か話しても、受け止める相手には必ず誤解がある。その誤解をなくそうとやりとりをするのがコミュニケーショ…

小川洋子『完璧な病室』(中公文庫、2004年)

表題作の他、『揚羽蝶が壊れる時』『冷めない紅茶』『ダイヴィング・プール』を収録。『完璧な病室』 「電気をつけましょうか。」 「いいえ。このままにしておいて下さい。」 「ふ、服は脱いだ方がいいですか。」 「はい。あなたの、胸の筋肉で抱いて欲しい…

小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社、2003年)

「君の電話番号は何番かね」 「576の1455です」 「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」 いかにも関心したふうに、博士はうなずいた。 自分の電話番号のどこが素晴らしいのか理解はできなくても、彼の口調…

長田弘『深呼吸の必要』(晶文社、1984年)

じゃあ、どの「あのとき」が、きみのほんものの「あのとき」なのか。子どもとおとなは、まるでちがう。子どものままのおとななんていやしないし、おとなでもある子どもなんてのもいやしない。境い目はやっぱりあるんだ。でも、それはいったいどこにあったん…

奥田英朗『イン・ザ・プール』(文藝春秋、H14年)

「治療、治療。あははは」(p.259) このシリーズは、まず映画の『イン・ザ・プール』を観て、そのあとに『空中ブランコ』。半年後の今、一番先に読むべきこの『イン・ザ・プール』。って、順番、間違えたよなぁ。いいんじゃない、あははは。

小川洋子『貴婦人Aの蘇生』(朝日新聞社、2002年)

「扉の前にもたもたしている間に、いつだって僕は用なしになる。僕を待っていたはずの人でさえ、いいのよ別に無理して入ってこなくても、って言うんだ」(p.136) 強迫性障害を患っているニコは、部屋に入る前に必ずある儀式をしなければならないのだった。…

トムが死んだことがショックというのではなかった。そうではなくてその葉書を読むそのときまで僕の中に確実に生き続けていたトムとは一体、何物なのかということだった。半年以上前に死んでいたトムは、それを知らされなかったというたったそれだけのことで、僕は生きているトムとして感じたり思い出したり遊んでやりたくなったりしていたのである。少なくともこの半年の間、僕は生きているはずのトムと付き合っていた。

大崎善生『パイロットフィッシュ』(角川書店、H13年、p.79)学生時代からの先輩のI氏が8日に亡くなったという知らせを昨日聞いたのだが、このことは私の中ではとっくに整理を付けていたはずのことだった。遡れば、もう治る見込みがないと聞かされた半年前(…

写真は、眼の前にあるものに感応しなければ成立しない行為である。ネガティブな波動を感じたりしたら、いい写真にはならない。つまり眼の前にあるものを受容することが絶対条件なのだ。世界に対して自分を開き、つねにポジティブな態度でむかっていくこと、それが写真の原則であり、思想である。

青春と読書(集英社)2008年12月号、カラー口絵 大竹昭子「「写真家」を名乗る人」石川直樹『最後の冒険家』の紹介(宣伝)文。「受容することが絶対条件」? 写真の原則も思想も知らないで写真を撮っている私って……。081217-225

そりゃもちろん、それなりに衝撃を受ける映画には出逢いつづけているし、時には吃驚もするし、そういう映画に出逢えれば喜びもひとしおだし、興奮だってするけれど、それでも、とりあえず、座席からはすんなり立ち上がれる。

asta*(ポプラ社)2008年11月号、p.74 大島真寿美「極私的電影随想 3 記憶の鍵」そんなことがあるわけないんで、とじいさんになった私は思わず一蹴してしまったのであるが、うんにゃ、そういや、若い時分にゃ3時間近い映画(昔は長尺もんもザラだった)を続…

ロイ:It’s my story. 僕のお話だ

少女:Mine, too. 私のでもあるわ この少女のセリフに字幕屋は、はたと困った。わずか一秒なのだ。これまでも何度か書いたが、字幕は一秒=四字が原則。ここも四字以内で表現しなければならない。右の直訳は七字。末尾の「わ」を削除しても六字。まだ多い。…

首や肩をぐきぐき回すが、出来の悪いプラモデルよりも接続が悪い。

恩田陸『夜のピクニック』(新潮文庫、H18、p.290)恩田陸はプラモデルも作る? 高校生の男子だからプラモデルを持ってきただけ? ほへー、作家ってすごい、とくだらないとこで感心してしまう。40年以上前にはよくぶち当たったけど、出来の悪いプラモデルっ…

ここ数年にわたって、日本の二大新聞(「朝日」と「読売」)が自らの戦争責任について真剣に検証してきたのに対し、日本最大の英字新聞、『ジャパンタイムズ』が沈黙を守っているのは、当時のメディア環境を知る研究者にとって奇妙なことである。戦前の同紙は、外務省と密接な関係のもとにあり、同紙の論調は、日本政府の公式見解として海外では受け止められた。その意味では、日本と海外、特に米国との外交関係に与えた影響は、日本語の新聞と同等か、むしろ大きかったことも考えられる。なかでも1941年の二つの社説は、米国において事実上の宣

一冊の本(朝日新聞出版)2008年10月号、p.5 ピーター・オコーノ「語られなかった歴史1 ある英字紙の111周年」「戦争責任」を検証しちゃうんだって。「日本政府の公式見解」や「事実上の宣戦布告として受け止められ」ていたのだとしたら、検証してもらった方…

僕は、今年、日本でいちばん悲しいプロ野球ファンである、阪神ファンなので、日本シリーズなんぞ、ど―――でもいいんですけどね。けっ。どっちも負けちまえ。

毎日新聞2008年10月31日、19面 荻原浩「極小農園日記 3 種まきというより豆まき。はやる心抑え気味に」「荻原浩」続きは、もちろんたまたま。普段読まない毎日新聞を、それこそたまたま手にしたからで……。あ、でもネットでも読めますね、これ(http://mainic…

「あと五年じゃない。早ければ、五年だ。しかも他の本には、はっきりしたことは何もわからないって書いてあったじゃないか。あきらめろ。最悪なのは、お前が死ぬことじゃない。お前が生き続けてしまうことだ。人間の抜け殻になってまで」

荻原浩『明日の記憶』(光文社、2005年、p.141)記憶というのは実に奇妙なもので、私もアルツハイマーではないかと思うような経験をいくつかしている(ど忘れ程度のものではなく、もっととんでもないもの。書くと長くなるし、みっともないのでやめるが)。記…

詩というのは、作者がいて、たとえば20行の完結した作品で、題名がついて、世間に発表します、という考え方だった。ところがこれは、ちょっとメディアの上で2、3行の言葉をつなげていくだけ。だから詩に対する考え方は革命的に違う。だけど、文学という考え方に立たないで、人と人との言葉によるつながりと考えると、むしろ詩よりもつながっていく可能性があるという感じですね。ここから何か新しいことが始まるかもしれません。

朝日新聞2008年10月2日、30面 つなげる 「生きる」瞬間 谷川俊太郎さんの詩にネット投稿 10ヵ月で4000件超 「コトバの波紋、面白い」谷川さん語る(署名記事:大井田ひろみ)ミクシィに立ったトピックで広がり、本も生まれた、んだって。引用はしたけれど、…

それに、ありがたいことに、わたしのような世代のものには(わたしもワープロで講義の資料を作っていた時期がしばらくあってワープロがこわれたのと後継の機種が売られていないため今は元へ戻ったのだが)、手書きの方が、ワープロ打ちより速度の点で早いのである。一字一字、書いて行くこの手作業が、きらいではないのだ。これは、ある意味では、自分の書体を愛好しているためともいえるから、文字愛の前に自己愛があるのではないかといわれれば、そんな気もする。

(注:「自己愛」に「ナルシズム」のルビ) 図書(岩波書店)2008年9月号、p.14 岡井隆「文字愛について」自分の字を好きになれる人がいるなんて、びっくりである。なにしろ私ときたら、小学校の高学年になってこの方、大げさでなく、自分の字と果てるともな…

この窮状 救えるのは静かに通る言葉

朝日新聞2008年9月13日、2面 ひと欄「還暦に憲法への思いを歌う沢田研二さん(60)」(文:藤森研)静かに通る言葉を言える人になるのが、まず私の場合は難しい。って、すぐそんなふうに話をもっていくからダメなのね。 「我が窮状」 作詞:沢田研二、作曲:…

十代の頃、好きだった女の子が部活で骨折をしたときに、カルシウムを摂取して早く治りますように、的な意味を込めて、ビスコをプレゼントしたことがある。そのセンスはなかなかのものだったのではないかと、今でもひそかに思っているし、あれは忘れられない贈り物であるけれども、ところでこのエッセイのお題の意味するところが、あげた贈り物のことについてではなくて、もらった贈り物について書けということだというのは、承知しています。

ポンツーン(幻冬舎)2008年8月号 No.119、p.90 岡田利規「忘れられない贈り物 辞書と献辞」ナニこの文、と投げ出すほどには長くなく(たった2ページ)、だからか、また最初に戻って、で、計5回は読んでしまったような。「しかし人間、してやったことは忘れ…

シーソー象のお話しからも分かるとおり、たかだかマッチのラベルとはいえ、そこに描かれている風景は実に自由自在だった。蛙がウクレレを奏で、カモノハシが金槌を飲み込み、ひよこはパイプをくゆらす。郵便配達人が貝殻で海原を航海するかと思えば、お亀と福助は玉乗りに興じ、サンタクロースは泉で沐浴する、といった具合だった。そこにはデッサンの土台も遠近法も、もちろん理屈もなかった。ただそうしたものたちが、四角い狭い空間に、素朴な線と色で印刷されているだけなのだった。

小川洋子『ミーナの行進』(中央公論新社、2006年、p.114)本には寺田順三(装画、装幀)のマッチラベルも色付きでページの合間にいくつか載っていて、これはこれで素晴らしいのだが、奇抜さでいったら実際(といってもすでに骨董品みなたいなものか)のもの…

人間は感情の生き物である。

しかし、すべての人が同じ数だけ感情を持ち合わせているわけではない。 言葉が関係するのかもしれない。 名前のつかない感情は存在しないに等しい。言葉を知らなければ、自分の中にある感情は感情として立ち上がってはこない。そういう場合は、何らかの行動…

少女の笑顔が陽射しの中で回っている。

なんて楽しそうなんだろう。 巽はその表情に打たれた。 思いつくままに身体を動かしているのだろう。ポーズそのものは稚拙だし、子供みたいにあどけない。けれど、その動きは伸びやかで、同じ世代の巽から見ても、天真爛漫な若さに溢れていて、ずっと眺めて…

最初から意識したわけではないが、斉木斉と梢田威の凸凹コンビが活躍する、いや、かならずしも活躍しない〈御茶ノ水警察シリーズ〉は、そうしたこの街の変化を克明に書き留める、という目的を持つことになった。第一作を書いてから、すでに二十年以上にもなるが、二人は少しも年を取らない。わたしもよく知らないが、二人とも三十代半ば、あるいは後半のままである。

その間に、当初は、〈防犯課〉だった二人の所属部署も、何年かのち〈生活安全課〉に変わった。同僚の五本松小百合も、最初は〈私服の婦人警官〉だったが、今ではれっきとした〈女性刑事〉である。公衆電話、赤電話はしだいに姿を消し、携帯電話がこれに取っ…

「ちょっとヤバイ傾向だな」

例によって女ともだちとの真夜中の電話である。ものに対する欲望、「欲しい」という感覚がまったくと言っていいほど消えている……。そんな話をしていた。 「子どもの頃は、デパートひとつ、ぜーんぶ欲しいと思ったこともあったのに」と女友だち。欲望に振り回…

「地元の理解が得られれば、再稼働したい」

朝日新聞2008年6月4日毎日jpを見ていて「<石原産業>四日市市に本社機能移転 不正再発防止で」の記事が目にとまり(これは今日の話)、そういえば、とここに書こうと思いながら忘れていた朝日新聞の記事を思い出した。新聞を引っ張り出してくると、猛毒のホ…

困ることのひとつに、「なんであんな変な邦題をつけたんだ」と責められるというのがある。これは濡れ衣だ。字幕屋は邦題にかかわっていない。シリーズ物を除き、字幕翻訳の段階で邦題はまだ決まっていないので、業務連絡もすべて原題でおこなう。とはいえ、いちいち原題をアルファベットで打つのは面倒なので、勝手に直訳したり簡略化したり、時にはふざけて内輪の邦題を確立してしまうこともある。二〇〇五年の『イカとクジラ』は、原題そのままの直訳邦題だが、業務連絡ではなぜか「イカタコ」になっていた。

本が好き!(光文社)2008年7月号、p.32 太田直子「字幕屋は銀幕の裏側でクダを巻く」今回(第十二回とある)は「やりたい邦題」という題になっているが、どうやら「やりたい邦題」は業務連絡時だけで(題名を考えるのは配給会社の宣伝部だしね)、だからこ…

デジタルといえど多くのシャッターを切らない。あと一歩左右へ前へなんてこともしていない。そうすると、町の人々も息をひそめるように現れるんですよ。

アサヒカメラ2008年6月号、p.232 大西みつぐ「東京 密やかな町」(インタビュー記事)この撮影方法だったら私のやり方と同じじゃん。でも私がやっても「息をひそめるように」は何ものも「現れ」て、は、こないのだな。そりゃそうか、私の場合はただ無精(に…