トムが死んだことがショックというのではなかった。そうではなくてその葉書を読むそのときまで僕の中に確実に生き続けていたトムとは一体、何物なのかということだった。半年以上前に死んでいたトムは、それを知らされなかったというたったそれだけのことで、僕は生きているトムとして感じたり思い出したり遊んでやりたくなったりしていたのである。少なくともこの半年の間、僕は生きているはずのトムと付き合っていた。
大崎善生『パイロットフィッシュ』(角川書店、H13年、p.79)
学生時代からの先輩のI氏が8日に亡くなったという知らせを昨日聞いたのだが、このことは私の中ではとっくに整理を付けていたはずのことだった。
遡れば、もう治る見込みがないと聞かされた半年前(だったかどうか、実はもうよく覚えていない)から、自宅に見舞いに行った時も、そして暮れも押し詰まった日に、面会謝絶になっていてすごすごと帰るしかなかった時に。もうI氏はダメなのだからと、その都度言い聞かせてきた。
少なくとも、筆まめなI氏から返事が来なくなった時点で、私の中のI氏は死んでしまったのと同じだったはずである。
なのに、亡くなったと聞かされて、私はまた混乱してしまったのだ。
で、上の文に突き当たった時、まったく反対の状況ながら、奇妙な同意をしていたのである。
ところで、『パイロットフィッシュ』はとても面白い本だった。主人公の山崎君だけには若い彼女がいて、ちょっと余裕なようなのが引っかかるし、由希子を3度も裏切るのが同じ女友達というのもあんまりな設定(他にも気になる部分が)なんだけど、でもぐいぐいと引き込まれて、一気に読んでしまっていた。
090110-237