古典的な哲学書の多くを味わい深く読めるようになったのは、哲学ノートを書いていた頃から三、四十年経過してからである。自分の抱いた哲学的問題と世に言う哲学とを接合するのに、三、四十年かかったことになる。今、私は『純粋理性批判』や『論理哲学論考』を味読することが出来るが、それでも、そこに、かつて自分が書いていたノートへの応答しか読めていないと思う。

図書(岩波書店)2008年12月号、p.1 永井均「読まずに書く」

上の文で全体の1/3だから、全部載せてしまいたいところ。でもそれだと何なんで、是非是非「図書」をお読みくだされたく……。

「読む前に書いた」という永井均に俄然興味が湧くが、哲学というのがなぁ。お、この人、私より11日お兄さんなんだ。って、どうでもいいんだが。

090109-236