梨木香歩『西の魔女が死んだ』(新潮文庫な-32-2、H13/H19-43)

『渡りの一日』併録。解説:早川司寿乃 ★★★★ 「私の祖母の場合は、自覚した魔女ではありませんでした。最初はね。ですから何の準備もしていないときに、そういうものが突然見えるというのは、祖母には大変つらいことだったのです。よく訓練された魔女にはそ…

中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』(中公新書ラクレ、2002年)

私は日本社会が歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダニズムは…

 太田光、中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書、2006年)

太田 先ほど中沢さんが、日常のささやかなコミュニケーションも誤解だらけだと言いましたが、そこにはもう一つ大事なことがあると思うんです。僕が何か話しても、受け止める相手には必ず誤解がある。その誤解をなくそうとやりとりをするのがコミュニケーショ…

中村喜春『江戸っ子芸者一代記』(草思社、1983年)

その頃の戸籍の上の手続きのややこしさは今の方には考えられないと思います。 まず、あたしはひとり娘(相続人)です。だから、よそに嫁に行くことはできません。家を動くことができないのです。さりとて相手の人が養子に来ることも、もちろん不可能です。そ…

古典的な哲学書の多くを味わい深く読めるようになったのは、哲学ノートを書いていた頃から三、四十年経過してからである。自分の抱いた哲学的問題と世に言う哲学とを接合するのに、三、四十年かかったことになる。今、私は『純粋理性批判』や『論理哲学論考』を味読することが出来るが、それでも、そこに、かつて自分が書いていたノートへの応答しか読めていないと思う。

図書(岩波書店)2008年12月号、p.1 永井均「読まずに書く」上の文で全体の1/3だから、全部載せてしまいたいところ。でもそれだと何なんで、是非是非「図書」をお読みくだされたく……。「読む前に書いた」という永井均に俄然興味が湧くが、哲学というのがなぁ…

翻訳のあるべき姿というのは、盗んでもいけないし、貢いでもいけない。つまり、削ってもいけなければ、付け足してもいけない。できるだけ、秤にかけた時、原文と訳文は同じ重さを示さなければならない。だが現実には、翻訳によって情報量は増えてしまう。もちろん、この現象は、翻訳家の気前のよさから起きるものではない。訳者は、原文を前にして、予期しない広がりや奥深さを感じ、それに見合う内容を訳文で補おうとするのである。「原文を前にして」と書いたが、それは文章そのものではなく、原語への思い入れであることが多い。たった一文字の助

(注:「原語」の「語」に傍点ルビ) 図書(岩波書店)2008年11月号、p.18 中村亮二「『手癖の悪い翻訳家』」ちなみに『手癖の悪い翻訳家』というのは、ハンガリーの作家コスタラーニの短編小説の題名らしいのだが、コスタラーニ、検索にひっかかってくれな…

テレビの世界は虚像というが、ここでみられるのは本当だ。本当に彼らはそこにいて、喋っている。

(注:「本当だ」に傍点ルビ) 本(講談社)2008年11月号、p.26 長嶋有「愛しのジャパネット」「「ジャパネットたかた・テレビショッピング」をみている。ほとんど毎晩みている。」で始まる文章からの引用。ほぼ生放送ではないのに、一発撮りでテレビ誕生期…

私たちの錯覚は、帝国主義が世界を分割してしまったように、言語が世界を分割していると思い込んでいることかもしれない。実際はそうではない。さまざまな椅子を「椅子」と名付けることによって、私たちは利益も得たが、粗雑にもなった。犬に比べて嗅覚は一万分の一にも鈍くなったそうである。他の感覚もそうだろう。

図書(岩波書店)2008年9月号、p.31 中井久夫「私の日本語雑記−十四 われわれはどうして小説を読めるのか」そうなんだ。だったら、言葉でもって世界を掴まえたいという願望のある私って……。081004-158

環境問題の論客、中西準子さんがホームページで、いまの北京の大気汚染よりも64年の東京五輪の時の方がひどかったのではないか、と書いている。

朝日新聞2008年8月15日夕刊、15面 伊藤智章「北京と東京、五輪の空」(窓 論説委員室から)中西さんは「空気が悪くてせきこんだり、汚れた川に近づけなかった」らしいが、記者には「澄んだ青空の開会式に代表され、輝ける成功体験の印象が強」かったようだ。…

だから、こんなに無邪気に自分のしあわせを宣言されると、わたしはびっくりしてしまう。自分のしあわせは、自分だけ知っていればいいではないですか。他人に大声で言って、そんな風になれなかった人は、どう思うか考えないのかな。文句の付けようのないことを、正々堂々言っちゃってなんだかこわいなぁと思った。ひやっ、とする。

asta(ポプラ社)2008年7月号、p.57 夏石鈴子「なついししあわせ雑貨堂 第15回 五月生まれの女の子」26歳の主婦が「女に生まれ、母になり、こんなかわいい子供たちを産めてうれしく思っています」と投書していることについての、夏石鈴子の感想である。 まわ…

私は通称・回文刑事。

物事を裏から、そして言葉を下から眺めることのできる県警唯一の男だが、この新米はまだ私の作品に気付いていない。 中村航、フジモトマサル『終わりは始まり』(集英社、2008年、p.7)そりゃ気付きませんよ。私もいままでに数人から「回文って何」と言われ…

そのときだ手品師のハンカチがひらめく

「ピエロのトランペット」(ファマウリ作曲)の中山知子の日本語詞の一部昨日の新聞に中山知子の訃報が載っていた。「ピエロのトランペット」は、子どものための歌のコンクールZechino D’oroの1965年の入賞曲で、さっそくその年のNHK「みんなのうた」に登場…