中村喜春『江戸っ子芸者一代記』(草思社、1983年)

 その頃の戸籍の上の手続きのややこしさは今の方には考えられないと思います。
 まず、あたしはひとり娘(相続人)です。だから、よそに嫁に行くことはできません。家を動くことができないのです。さりとて相手の人が養子に来ることも、もちろん不可能です。それに、相手も男一人で、妹は二人とも他家に嫁していました。
 それで、知人に頼んで男の子の四人もいる家から四男を借りて来て養子に入れました。木挽町の床屋さんでした。そして、あたしの籍を抜いて、初めてお嫁に行けるわけです。
 この床屋さんにはあと半年くらいでお礼をして、また、その子を親元の籍に返しました。(p.182)

芸者の世界とはまるで関係ないところを引いてしまったが、なかなか興味深い話に満ちた本だった。

この本は前から読みたいと思っていて、で、手の届くところにあったのだが、私にはちょっとしたためらいがあった。実は私の母も元芸者(喜春姐さんより十歳下)で、母はそのことを隠すこともなく誰にでも話してきたし、私もそうしてきたはずであったが、しかしやはりどこかに、芸者という言葉にあるいかがわしさを抜きにしては対峙できぬものが私にあるのだった。

母に負い目がなかったのは喜春ねえさん同様、借金もなく自分からなりたくて芸者になったからなのだろうが、そういう部分は置いておくにしても、やはり住む世界が違うという感じはしてしまう。

例えば、ある日など、客(「水揚げ」は逃れたとあるが、その相手)から百円札(今の二十万円くらい、とある)をせしめてしまうのである(p.63)。むろん、せしめたなどとは書いていない。でも、似たり寄ったりではないか。ま、出す方も出す方なのだが。というか両者とも、そういうまったくもってふわふわした金がどうして生まれたのかということなど考えを巡らすことなどないのだろう。

話を私の母に戻すと、多分似たような金銭感覚が身についてしまっていると思われることがよくあるのである。