車谷長吉『漂流物』(新潮社、1996年)

 その晩、北川氏はこんな話をした。――僕の親父は鳥取県の寒村の生れで、東京へ出て来て、学校をでたあと会社員になって、世田ヶ谷区の祖師ヶ谷に家を買いました。それが昭和三十年代のはじめ、高度経済成長がはじまったころです。そのころにはもう姉と私は生れていました。あとに弟が一人生れました。その三人の子をそれぞれ学校を出し、嫁にやり、会社員と教員にしました。会社員になったのが、僕です。家の窓べに花を飾ったり、部屋の壁や便所の中に絵を架けたり、つまり「便所」を「トイレ」と言い抜ける、そういう都市近郊の生活です。併しこんな生活は、はじめからぬけがらです。何の目標も根拠もありません。親父は、家を買った時の借金を返して行くだけのその日その日です。返し終ると、癌で亡くなりました。僕ら子供たちもそれぞれ、たまたまです。学校を選ぶのも、嫁に行くのも、会社勤めをするのも、その場その時のたまたまです。無根拠性の中を漾っているだけです。ふとその場その時の出来心で盗みをしてきたようなものです。それが、たまたばれなかっただけのことです。
 ――スーパーマーケットへ行くと、魚や肉を売っているじゃないですか。僕はある時まで、海には魚の切り身が泳いでいると思っていたんです。肉を買って来て、晩飯のおかずにする。だけど世の中には「お肉」なんてものはないんですよ。あれは牛の屍体なんですよ。牛の屍体を「お肉」と言いくるめて、平気でいるのが僕らの生活だった。何か耐えがたいほど居心地のいい、うその生活ですよね。ところが、そういう生活に平気でいる人は、牛をさばく人に感謝するどころか、逆に白い目で見たりします。(p.98『愚か者』)「併」に「しか」、「漾」に「ただよ」のルビ

車谷長吉は思っていた以上の面白さだった。

『漂流物』には、表題作の他『蟲の息』『木枯し』『物騒』『めっきり』『愚か者』『抜髪』の七篇が収録されていて、その中の『愚か者』はさらに『光の壺』『温み』『見知らぬ塀』『うちは口が軽い』『貧乏な夫婦』『ちのつく言葉』『ある田舎町の老妓の話』『悪の手』『佐助稲荷の空家』『ぬけがら』『蛇捨て』『神さま』の十二篇よりなっている。

(略)うちらみたいなぼけが書く文章や、もともと文章になってなかったんやろ。けど、うちは佛さんに手ェ合わせる積もりで、書いたが。うちの命差し上げます言うて、書いたが。文章書くいうのは、あないなことや。書かざるを得んさかい、書くんや。書く以外に、もう何もすることがないさかい、書くんや。あんたが雑誌に出した文章、そななこと一かけらもあらへんが。をなごを好きになりました。相手にされませんでした。よろしく愛してちょうだい。らら、ら。それだけやがな。面白くも、へったくれもあらへんがな。そら、そえでは文章も相手にはされへんわな。うちといっしょや。(略)(p.149『抜髪』)「をなご」に傍点ルビ

上のにほとんど何も書かなかったのは、こんなのがあったからで……。