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私小説が自然主義文学の胎内から生れるについては、その経緯がどんなにいびつであっても、それなりの必然があった。また「私」をめぐる人間関係を描写するかぎり、真実らしさにゆきつくことについて理念にも似た確信もあった。その場所で言えば私小説はひと…
詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説を鬻ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであて、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘わらず書き続けて…
父を語る時、郷土、富山を抜きにしてはできない。大正三年に新しくつけた屋号「黒田国光堂」と大正六年に初めてつくった商標「国誉」に込められていたのは生まれ故郷への思いそのものである。国は越中、富山を指していたのであった。 富山から大阪に出るには…
その晩、北川氏はこんな話をした。――僕の親父は鳥取県の寒村の生れで、東京へ出て来て、学校をでたあと会社員になって、世田ヶ谷区の祖師ヶ谷に家を買いました。それが昭和三十年代のはじめ、高度経済成長がはじまったころです。そのころにはもう姉と私は生…
朝日新聞2008年12月3日、27面 故 M・クライトン氏 自然への畏敬 最後まで(署名記事:都築和人)93年6月にマイクル・クライトンにインタビューした時の言葉。あれ、朝日新聞はマイ「ケ」ル・クライトンで、訃報記事を出していたんじゃ(確かめたかったが、も…
アットワンス(JTBパブリッシング)2008年10月号 「山本益博、東京フレンチで遊ぶ」(監修:山本益博、文:粂真美子)食べることに興味がないので、フランス料理について書かれたものを読むなんて、我ながら信じられないくらいなのだが、まあそれなりに面白…
しかし同時に暗澹とします。多喜二には共産主義という理想があったけど、今は、信じるに足る「正解」がない。理想は消えたのに地獄だけ復活したのです。 それにしても、多喜二が命がけで信じたあの主義は、なぜダメだったのでしょう。『蟹工船』パワーを浴び…
倉本美津留『どらごん 道楽言』(朝日出版社、1999、p.23)「もっと見ていてワクワクする、用事もないのに、ついつい引いてしまいたくなる、そんな国語辞典や漢和辞典があってもいいんじゃないかなぁ」ってことで作ってしまったという本。上のは「おかしな名…