枡野浩一『ますの。枡野浩一短歌集』(実業之日本社、1999年)

差別とは言わないまでもドラマではホステスの名は決まってアケミ(p.64) そう言われてみると……って、テレビドラマなんてほとんど見たことがないっていうのに、同調しちゃったら可笑しいのだけど……思い込みで作ってないんだよね。 でも僕は口語で行くよ 単調…

マツタケや鮎の味がわかるようになったら、それなりの歳だということでしょう。そうそう食べられるものじゃないし、若い時は高値で手が届かなかったし……。それが何となくわかってきた。あと10年もしたら、「今年のは、良いねえ」とかイヤミなことを言えるくらいの年寄りにぜひなりたいものです。

本が好き!(光文社)2008年11月号、p.102 槇村さとる「おとな養成所 第二十九回 身に覚えのなきこと」私にはもう十分イヤミです。今年はいただきものを食しましたが、でもこれは30年ぶりくらいのことなんで、いや、もしかしたら松茸ご飯という名の、ほいで…

しかしながら、いくらひねったところで、学識・見識のたいしてない人があるように見せかけるわけだから、当然そこには無理と混乱が生じる訳であって、このように字というものはその偉さを主たる理由として、人に緊張や混乱を与えるものであり、いっそンな罪作りなものは止めてしまった方がよほど世の中のためといえるが、一概にそうとも言えぬのは、字が偉いには偉いなりの理由があるのであって、ただ、その偉い、という現象だけを見て、俺より偉い奴はみな気に入らぬ。世の中を阿呆に統一しろ。というのは、はっきりいって暴論、そんな無茶はわたく

なんてことは、 「はんちゃひら ふんじょらぎばさ けぺそんて へまちょぎっちょれ よじれまいおす」 或いは、 「さらこめて せけのとんなめ ぐるたらみ たれしりちらす あとはへらめも」 といった歌の前に無力で、こんなものは、はっきり言って言葉に対する…

世はまさにバブルであった。一歩、表に出ると、「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」という声が鳴り響いていた。それだけではなく、あらゆる音が鳴り響いていた。クルマのクラクションの音。嬌声。舌鼓。クラクション。怒号。悲鳴。ファンファーレ。町のいたるところでくす玉が割れ、ひらひらが垂れ下がり、司会者が絶叫してた。全員が優勝者で、山のような賞金とエビオス一年分を抱えて走り回っていた。

町田康『破滅の石だたみ』(角川春樹事務所、2008年、p.24)「全員が優勝者」だったのに、でも何でかそこからはこぼれていた私だけど、今となっては、バブルはそんなだったような気がしてしまうのであった。081017-171

このままでは、ハゲの未来はハゲの頭ほどにも明るくならないだろう。これほどに“本人の責任でないマイナスイメージ”をはらみながら、何故「ハゲ」は差別語として問題化されないのだろうか。この差別語神経過敏症の時代においてである。どうも、差別語のしめつけがきびしくなるにつれ、そのストレスが、ボーダーラインすれすれの『ハゲ』にぶつけられてるような気がしてならないのだ。

松尾スズキ『大人失格 子供に生まれてスミマセン』(知恵の森文庫、2004、p.103)ハゲと「ハゲ」と『ハゲ』の使い分けの意味がわからず、悩むこと○日。「差別語神経過敏症」(なるほどねー)の時代にあっては、ハゲという言葉も次第にエスカレートして、その…

「万年筆」といってもその名の通り1万年も使えるわけじゃない。「鉄棒」はたしかに鉄の棒だけど、ちょっとそのまんま過ぎはしないか。そんな「言い過ぎ名前」と「そのまんま名前」、他にこれはどうかなーと思ってしまう「どうかなー名前」も集めた。

倉本美津留『どらごん 道楽言』(朝日出版社、1999、p.23)「もっと見ていてワクワクする、用事もないのに、ついつい引いてしまいたくなる、そんな国語辞典や漢和辞典があってもいいんじゃないかなぁ」ってことで作ってしまったという本。上のは「おかしな名…

暴は剃址廁サイトの砿尖繁をしている防弥と賦します。

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