2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

プランゲ文庫では、検閲官に赤鉛筆や青鉛筆で「delete(削除)」とか「suppress(発行禁止)」と書き込まれたゲラを見ることができます。たとえば林健太郎は『歴史と現代』という本を執筆した際、事前検閲で削除の指示を受けたところをうまく文章をつないで直しているのに対して、羽仁五郎は『歴史』で削られたところを脈絡なくつないでそのまま本にしています。

(p.4、山本武利)データベースを使えば、言説の内容と数量的なデータとの重層的な構造を立体的に示すことができるようになるでしょうね。ところが書物の場合には、時系列的に並べざるを得ないので、ある視点からの見方をどうしても強力に出さざるを得ない。…

この数年、地味系スポーツを題材にした小説がヒットしていることもあり、それまでしらなかった世界を、汗もかかずエアコンのきいた部屋で、のほほんと覗き見る機会もぐっと増えた。そんなとき、つくづく読書の幸福を噛みしめてしまうのだ。

星星峡(幻冬舎)2008年9月号、p.96 藤田香織「汗とは無縁の室内で、熱き戦いを読む幸福。険しき「武士道」をつき進む、剣道少女再登場!」(誉田哲也『武士道セブンティーン』の書評)そう言われてみると、読書(映画とかも)なんて、ずいぶんといい加減な…

ふと、自分がこの小説を、体で読んでいたのだと気づく。そこに連なっている文字に、全身が刺激されて、その刺激が体を伝わって心まで解放されたような感覚を味わっていた。愛の痛みとか苦しみを想像しながら、体感もしていたのだ。マンガ的なのか、小説的なのかは、よく分からない(というか、もはやどうでもいい)けれど、それは、何というかとてもエロティックで、幸せな読書体験だった。そして、物語の中で味わった愛の深味はせつなくて苦しくて汚くもあり、とってもさみしいけれど、それも含めて何だか忘れがたく、美味しく感じられた。

星星峡(幻冬舎)2008年9月号、p.95 芳麗「心だけでなく、体ごと持って行かれた。」(渡辺やよい『ピーター・ノースの祝福』の書評)体感とはすごい絶賛だけど、渡辺やよい、知らない(芳麗も)。レディコミ(多分、読んだことがない)でエロティックなマン…

複数の高い煙突から煙が吐き出される、タイトルバックの醜い光景は、横浜だけのものではなかった。私の見た範囲でいえば、東京では無数の運河が埋められ、高速道路が作られていた。高速道路の西銀座の部分を、私(私たちというべきか)ははじめ駐車場だと考えていた。すべてが〈東京オリンピック〉を建て前とするゼネコンの仕事の一環とは思わなかったのである。

これら〈高度成長〉と呼ばれるものの毒に、敏感だった黒澤明が気づかなかったはずはない。この毒は人間に染み込み、人間性を変える。東京のスモッグは前年(一九六二年)に問題化していたが、日本人はまだ公害に気づかず、大きな問題にはなっていなかった。…

私は子供たちのことも妻のことも愛してはいない。

彼らは私の前からいなくなっても何ら問題のない存在である。いつ死んでくれても構わないと常に思っている。彼らは私の人生にとって厄介者である。すくなくともその必要性を遥かにしのぐほどに私の人生の阻害要因であろう。白石一文『この世の全部を敵に回し…

お年寄りは席をゆずられたら、えんりょせずに座ってください。

朝日新聞2008年9月25日朝刊、16面、声欄小学生の西元美樹(12)ちゃんが、バスでおばあさんに席を譲ったのに、座ってくれず、気まずい思いをしたと書いている。080925-149

こうしたポストモダン人をその「驕り」から目を醒まさせるものは、いまや近代の啓蒙理性ではなく、象徴的なテロリズムによって与えられるのではないか。秋葉原事件とは、そのような思想による「啓蒙テロ」であったといえるだろう。テロリズムが啓蒙理性の役割を代行するという事態に、私たちは時代の病を見るのである。

本(講談社)2008年9月号、p.60 橋本努「思想テロとしての秋葉原事件」「時代の病を見る」とは書いてあっても、この読み解きは、落ち着かない気分になる。10年後であれば、的確と思えるようになるのかもしれないが、当事者でなくても、秋葉原事件は、まだ十…

東武の乗客にとって、ふじみ野まで300円余計に払うのは抵抗があるのだろうか。逆にふじみ野まで先行の電車に乗れば、ただでTJライナーに乗れるわけだ。一般に首都圏の通勤電車は、東京から離れるほど空いてゆくが、TJライナーは逆であった。川越市では先行の急行小川町ゆきから乗り換えた客が多く、さらに混んできた。まるでこの先に東京があるかのようだ。

本(講談社)2008年9月号、p.29 原武史「鉄道ひとつばなし152 TJライナーに乗る」たった2ページのTJライナー乗車記だけど、面白かった。東武東上線で「英国の疑似体験ができ」てしまうってんだから。「この先に東京があるかのようだ」って、実際に乗ってそん…

私たちの大便は、だから単に消化しきれなかった食物の残りかすではないのです。大便の大半は腸内細菌の剥落物、そして私たち自身の身体の分解産物の混合体です。ですから消化管を微視的に見ると、どこからが自分の身体でどこからが微生物なのか実は判然としません。ものすごく大量の分子がものすごい速度で刻一刻、交換されているその界面の実は曖昧なもの、きわめて動的なものなのです。

本(講談社)2008年9月号、p.23 福岡伸一「世界は分けても分からない4 相模原、二〇〇八年六月」切り離しが行われたかどうかでいいじゃないかと思ってしまうのだけど。素人は大局観ですよ、ってそういう論旨ではないようで。福岡伸一の最近の露出度の高さっ…

「正しいことだとという自分の気持ちに反した行動を、私たちは『自分への裏切り行為』と呼んでいます。私が言ってきたような自分への裏切り行為、つまり自分にそむく行為は、ごくありふれたものです。しかし、少し深く掘り下げると面白いことがわかってきます」

彼はみんなを見回した「自分にそむくということは、闘争へむかうということなんです」 アービンジャー・インスティチュート、門田美鈴訳『2日で人生が変わる「箱」の法則 すべての人間関係がうまくいく「平和な心」のつくり方』(祥伝社、H19、p.122)これだ…

荒唐無稽なアイデア勝負の作品に評者は比較的辛めの採点をしてきたが、本作の完成度の高さには脱帽した。特筆すべきは計算の行き届いたナレーションの妙。一人称の主語をことごとく排除することによって、車を運転する主人公から身体感覚を消し、ナビを注視する〈視線〉そのものに変容させる。そして魂が肉体を離れた瞬間「僕」という主語を出現させる皮肉。そのあたりの配慮が心憎い。

きらら(小学館)2008年9月号、p.46 「きらら」携帯メール小説大賞の第51回月間賞に選ばれたのはトカゲヘッド氏の『運転中にナビの注視はやめましょう』。引用は、盛田隆二による選評。この作品は佐藤正午も評価していて、ダブル受賞となった。話はありきた…

読書感想文の厄介は、「この本は大体このように読まれるもの」という「正解」が、どこかで決まっていることだ。だから、能力のある子供は、その「正解」を当てに来る。別種の能力のある子供は、その「正解」を引っくり返しに来る。前者は、「大筋の合意に沿った文芸批評」になり、後者は「衝撃的な文芸批評」になる。どちらも「書き手のあり方」を尊重した文芸批評にはなるだろうが、果たしてその本が「そのように読まれてしかるべき」であるのかどうかは分からない。「正解」が予定調和に確定されているという、その前提が正しいかどうかも分からな

(注:1行目の「このように読まれるもの」には傍点ルビ) 一冊の本(朝日新聞出版)2008年9月号、p.106 橋本治「行雲流水録 第八十七回 文芸批評は、まず「あらすじ」だろう」080912-136で引用した豊崎(大は立)由美の「削りに削った末に残った粗筋と引用。…

映画とはつまるところ音と映像である。ゴダールがそう喝破してからもう40年近い歳月が経ったというのに、映画評論家はあいかわらず音楽を敬遠し、音楽評論家は映像にいささかも関心を払おうとしない。映画を作り上げている半分の要素である音声部門の研究は、映像のそれに比べて著しく遅れている。クラシックの演奏者の黒服は、視覚的快楽の拒否だ。

一冊の本(朝日新聞出版)2008年9月号、p.84 四方田犬彦「音楽のアマチュア35 ニーノ・ロータ」そうなんだけど、というか、セリフは音じゃないんかい? 映画は総合芸術にしても、メッセージとなると言葉によりかかる部分が大きくなるから、評論家の態度は仕…

私は“認知症高齢者の問題”に関わっているが、認知症によって生活能力が崩れていく中、彼らの「誇り」や「尊厳」への固執がなかなか壊れないことにしばしば驚かされる。知的能力や身体能力が低下し、日常の生活に難渋する認知症高齢者においても、「誇りの平等」が担保されることは重大なテーマなのである。換言すれば、人間とはそれほど業の深いものなのだ。そして「近代」とは、その人間の業を煽るシステムである。近代の終焉が宣言されて久しいが、ポストモダン言説などで超克したり解体したりできるほど「近代」はヤワではない。なにしろ人間の

一冊の本(朝日新聞出版)2008年9月号、p.8 釈徹宗「宗教聖典を乱読する13 特別編 イスラム原理主義を考える――アブラハム宗教を終えるにあたって」イスラム原理主義について語っていて、それもわかりやすく、かつためになることばかりだったのだが、認知症高…

彼らの作品が問いかけるもの、彼らが突きつけるモノの正体みたいなものを、ぼくは掴まえることが出来ない。彼らにとってモノの正体は、いつも頭の中を渦巻いているらしく、それをただ取り出しさえすればよいのだろう。

これらの作品を、ひたすら美しいと思うことがある。ただ恐ろしいと思うことがある。眩暈をおぼえることがある。しかし、どんなに優しく描かれている絵の中にも、本能を剥き出しにした放心の空しさが漂う。衆人の壁に囲まれた闇が拡がる。 彼らはひたすら何か…

このように考えていくとアフィリエイトは、釣りと似ているかもしれません。

魚が釣れる「ポイント」というものがまずあります。一箇所だけ、魚もいないところに糸をたらしていても、哲学は生まれるかもしれないけど、魚は釣れません。また同時に、ターゲット、つまり魚自体も常に動いています。 和田亜希子『ホームページが楽しくなる…

竹島は韓国では領土問題ではなく、歴史問題なんです。

朝日新聞2008年9月14日、9面 耕論 日韓の悩ましさ(朴裕河/パク・ユハ、黒田福美、若宮啓文)なるほどそういうことか、といままでで一番腑に落ちた説明。080914-138

この窮状 救えるのは静かに通る言葉

朝日新聞2008年9月13日、2面 ひと欄「還暦に憲法への思いを歌う沢田研二さん(60)」(文:藤森研)静かに通る言葉を言える人になるのが、まず私の場合は難しい。って、すぐそんなふうに話をもっていくからダメなのね。 「我が窮状」 作詞:沢田研二、作曲:…

削りに削った末に残った粗筋と引用。それは立派な批評です。逆にいえば、その彫刻を経ていない粗筋紹介なぞウンコです。

本が好き!(光文社)2008年8月号vol.26、p.120 豊崎由美「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? 私の書評術 2」安易にそうだ!そうだ!と同調していたら(これだってよく考えたら大変なことなのだけど)、とんでもないしっぺ返しが待っていた! 最後に、今も…

ミッキーマウスなどの世界規模のキャラと比べると、主に国内で消費されているガンダムなどしれたものなのでしょうが、主人公たち「キャラクター」はいても、ミッキーのような「キャラ」が存在しないことを考えれば、この人気の持続は驚異的なものです。

実は、ミッキーも一般的には「キャラクター」と呼ばれています。ただ、最近は「キャラ」と「キャラクター」を分けて考えた方がいい傾向にありますので、今私は、ミッキーを「キャラ」と呼んでいます。大人も結構そうですが、今の子どもは、自分のキャラクタ…

実は、この〈親〉という生き物には、もうひとつの本能がありまして、此が実に厄介な現象を引き起こすのです。それが〈子の幸せを願う〉という宗教とも信念とも言えない不気味な思念であります。

本が好き!(光文社)2008年8月号vol.26、p.56 平山夢明「非道徳教養講座 第二回 賢い親の裏切り方」賢い、親の裏切り方をするには、賢い?親の研究が必須らしい。 ところで、もともと〈親〉とは一体、何者なのでしょうか? 世間一般では子のない人は存在し…

とにかく、あしながおじさんが大人げない。主人公のジュディとボーイフレンドのジミーの仲にやきもきして何度も保護者の立場を利用して邪魔をするし、最後のほうになると、自分の思い通りにならない十四も年下のジュディに対して、かなり苛立っているのがわかる。

本が好き!(光文社)2008年8月号vol.26、p.5 生田紗代「あしながおじさんの恋」(テーマエッセイ 夏休みこその「この一冊」)あらら、そんなだったっけ、『あしながおじさん』。ちょっと読み返してみるか、と本棚に手を伸ばしかけてやめたのは、私があしな…

ひとつのバイトが終わると、その給料のほとんどを文庫に注ぎ込み、自室の床に積み上げては、うえから順番に読んでいきました。読むものがなくなったら、しぶしぶ働きに出るという日々を続けました。

その間、季節は正しく巡っていたはずですが、その記憶は、わたしにありません。温度を一定に保ったドームのなかで過ごしたような感じがします。 本が好き!(光文社)2008年8月号vol.26、p.5 朝倉かすみ「夏休みには、『夏休み』」(テーマエッセイ 夏休みこ…

一日歩いて一度もシャッターを切ることなく、徒労感にとらわれることもある。そういうときは仕事になってないのだから、ホテルに泊まるのも気が引けるというものですよ。

ぼくはインド、アメリカ、東京と旅してきたけれど、こんなに地味な仕事は初めて。地方は疲弊し、逼迫してるんですね。 道を歩いていて、ふと小耳にはさんだ話から物語が始まるということもなくなったしね。空気までが動いていないと感じることもある。たとえ…

入場券を買って、館内に足を踏み入れると、最初に目にした一枚目の絵画がもう傑作。次も傑作。その次は傑作中の傑作。その次も傑作。その次は名作。さらに傑作。また傑作……といった具合で果てしがない。これは一作ずつ真剣に見ていったら、身が持たない……と思って目の傑作から目をそらす。と、視線の先には大傑作が飾ってあったりするのだから、もうどうしようもない。

原田宗典『たまげた録』(講談社、2008、p.86)ルーブル美術館で見事“ルーブル熱”にかかってしまった原田宗典と「カミサン」は、しかしこのあと「芸術の殿堂ルーブル美術館の中で、これほど芸術とかけ離れた出来事に遭遇」することになるのだが、この話は導…

私が考える、家庭とサイト運営を両立させるコツです。

○時間の管理 ○あきらめる勇気を持つこと ○自分にとって何が大切なのか常に考えていること 大切なものを失う前に、限られた時間でできることから始めてみましょう! 小林智子『主婦もかせげるアフィリエイトで月収50万 パソコンひとつで成功!のコツ』(祥伝…

いっそ白髪頭も、しみだらけの皮膚も、皺だらけの膣も、年上の友人たちに貰えたらいいなあと思います。年上の女の度胸と経験が、ことあるごとにわたしを救うでしょう。

それから若い友人たちに、つやつやの皮膚や、傷だらけの腕や、うるおいのある膣を貰えたら、どんなにいいでしょう。若い女の葛藤も、悩みも、未経験のゆえの無謀さも、わたしに戻ってくるかもしれません。 そしたら、自分じゃなくなってしまうかもしれません…

彼女の目的が父とマツモトイズミとの関係の潔白を伝えることだったのか、父と彼女自身との関係の背徳を暴露することだったのか、私にはわからない。善意だけではない。悪意だけでもない。複雑な感情を渦巻かせて私に会いに来たのだ。

森絵都『いつかパラソルの下で』(角川文庫、p.46)渦巻かせられちゃったものだから、この先の展開にえらく期待してしまったのだけど、そして主人公たちも大げさな行動に出るのだけど、物語はいたってありきたりなところへと収斂してしまう。それが作者の狙…

「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」

福田康夫同じだったら記者だって質問などしないでしょ。それを「違うんです」って、あなたの言う客観的と私の客観的は、客層が違うんであって、は、客層? だって客観的が違うってことは、ふゅー。むきまきへみし。ふごー。私の独り言はともかく、最後に付け…

歴史的な産物といってしまえばそれまでだが、一九四五年以前に生まれた世代に、日本式の名前が目立つ。太郎、秀雄、一雄、花子、秀子といった名前が、ハングル世代の先陣グループにかなりみえる。統計をとったことはないから、たしかな数字は判らないが、すくなくはない。

「自分の(日本式)名前は、韓日の不幸な歴史の生きた証拠だと思っています。それをしょって生きていますが、日本の国のことはまったく判りません」 と、いうかれらが、ハングル世代の先陣グループに多いとは、皮肉な現象である。それは運命のいたずらなのか…