実は、この〈親〉という生き物には、もうひとつの本能がありまして、此が実に厄介な現象を引き起こすのです。それが〈子の幸せを願う〉という宗教とも信念とも言えない不気味な思念であります。

本が好き!(光文社)2008年8月号vol.26、p.56 平山夢明「非道徳教養講座 第二回 賢い親の裏切り方」

賢い、親の裏切り方をするには、賢い?親の研究が必須らしい。

ところで、もともと〈親〉とは一体、何者なのでしょうか? 世間一般では子のない人は存在しても、生物学的に親のない人は珍しいのではないかと言われております。我々が生まれ初めて与えられるもの。それが〈親〉であり、生後180ヶ月ほどは、それが全てであると申し上げても過言ではありますまい。この好むと好まざるとに拘わらず提供された〈親〉というものは所謂、無償サービスの塊であります。衣食住の全てを賄い、それ以外に安全、衛生、娯楽の多くを保全・管理する主体でもあります。また教育・労働を含む、社会的義務の履行を強制する者でもあり、この意味に於いて正常に機能しているかどうかは別として家庭という、実にミニマムな単位に於ける司法・行政・立法の三権を掌握する者たちでもあります。この場合、ふた親ですと父親が主に立法・司法を担当し、母親が行政サービス全般を管理する傾向にあるようです。然し、賢女子の皆様も既にお気づきのように我々が誕生した段階では、こうしたシステムに関する知識は、ほぼ〈白紙〉。単にこのまま相手が客観と公平と献身のままに事を進めてくれれば、何の問題もなく我々は個人の自由裁量によって〈親〉というものの位置を確定できるのでありますが、そうは問屋が卸しません。

ときて、〈子の幸せを願う〉不気味な思念へと繋がっていくんだけど、あー、めんど。

080910-134