2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「あと五年じゃない。早ければ、五年だ。しかも他の本には、はっきりしたことは何もわからないって書いてあったじゃないか。あきらめろ。最悪なのは、お前が死ぬことじゃない。お前が生き続けてしまうことだ。人間の抜け殻になってまで」

荻原浩『明日の記憶』(光文社、2005年、p.141)記憶というのは実に奇妙なもので、私もアルツハイマーではないかと思うような経験をいくつかしている(ど忘れ程度のものではなく、もっととんでもないもの。書くと長くなるし、みっともないのでやめるが)。記…

しかし、ピアニストというのは一般聴衆には決してわからない、専門家にすら聞き取れない毛ほどのミスを悔いる種族なのである。ひとつ音をはずしたら死ぬのではないかと思いつめるように教育されているのだ。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.56 青柳いづみこ「告別のバッハ」ピアニストに限らず、プロ意識を持っていれば、どんなことであれ、似たような気持ちになるのではないか。この私ですら「組版」の仕事で、一銭にもならないのに(つまり印刷屋からは文句など…

山の貯水池の傍にある川魚屋に鯉を買いに行って、潜水艦の影みたいに泳ぐ大きな鯉を引き上げて、店の主人が金槌みたいなのでガツンと頭を殴ったときはびっくりしました。

それをぶつ切りにしてもらって、家の台所で包みを開けると、大目玉みたいな元のまま取らないウロコが一斉に逆立っていて、私は鳥肌立ちました。触れなくて家人に鍋へ移してもらい、さてこわごわと煮始めます。 鯉は骨もウロコも全部煮て食べるのです。一時間…

むかしのことを言うのは、気が引けるが、私の学生時代の一九五〇年代には大新聞社主催の「ロートレック展」などというのがデパートで催されると(大型の展覧会はデパートで催されることが多かった。いまでは不許可の国宝、重文などもデパートで公開されていた)、一応絵は額にはいれられているが全部複製、つまり印刷物ということは珍しくなかった。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.18 坂本満「「本物」と複製、そして版画(上)」えー、これはびっくりだ。私の「有名作家美術展」のはっきりした記憶(つまり自分から行きだした)は1970年からで、だからそれより20年も前のことにしても、だよ、複製の展覧…

彼らが写経した仏典のおおくは密教教典だった。九世紀ごろからインドで盛んになった密教がいち早くチベット語に翻訳され、聖なる言語であるチベット語教典として、コータン人や漢人にひろく普及したのである。つまり、一〇世紀から一一世紀にかけて、チベット語とチベット仏教は中央アジア・東北アジアの多言語・多民族社会の文化的な共通軸だったと言えるだろう。そしてそれは、一二世紀、西夏国におけるチベット仏教の流布、そして先述した一三世紀モンゴルのチベット仏教への帰依につながるものであった。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.12 武内紹人「チベット文明のユニークさと普遍性−古文書研究の視点から」世界共通語的な存在だったチベット語……。081027-181

最終的には、正義の味方バットマンが勝ち、人間性悪説は表面的には退けられるのですが、あらゆる汚い手段を使って、人間のモラル感覚を崩壊させようとするジョーカーという人間像から来る後味の悪さは消えません。それは、あらゆる人間は潜在的に敵だというアメリカ的世界観の反映だからです。

先住民が暮らしていた土地に乗り込み、銃を知らぬ彼らを銃で殺し、その土地に国を作ったアメリカ人にとって、また、よその土地から連行した黒人を奴隷として使って産業の基礎を築いたアメリカ人にとって、自分とは違う人種にいつ復讐されるかもしれないとい…

この夏も随分そうめんのお世話になった。暑さでいっこうに食欲がおこらないときでも、冷やそうめんなら胃がよろこんで迎え入れる。キリッとした冷たさ、独特の歯ごたえと舌ざわり。三日、五日とつづけても少しも苦にならない。

これほど日本人の食生活になじんでいながら、外ではめったに口にできない。うどん、そばの店はごまんとある。きしめん、ひやむぎもメニューについている。しかし、そうめんはめったにない。麺類の兄弟にちがいないのに、どうして仲間はずれにされるのだろう…

今でこそ、芸者といえば古風な「女らしさ」の体現者としてイメージされますが、深川芸者は、男装、男名前、男言葉、気風のよさというような男粧、男振を売りにしていたのです。現代に置き換えるならば、男物のスーツ姿で、大輔とか、拓也とか名乗って、「俺、○○なんすよ」みたいなしゃべり方をする女性だったことになります。現代の男性が、そうした女性にお金を払って、いっしょに遊ぼうとするでしょうか? とてもそうは思えません。しかし、江戸時代の男性は、そうした男っぽい女性を、好んで遊興の供としたのです。しかも金子を与えて。

(注:「気風」に「きっぷ」、「男粧」に「おとこなり」、「男振」に「おとこぶり」のルビ) 本(講談社)2008年10月号、p.41 三橋順子「日本人は女装好き?」芸者分析はそうなのかもしれないが、次の結論はどうなんだろ。「性別越境的なものを「変態」とし…

TVニュースのカメラマンの作品は、記者のナレーションが付けられて放送された後、空の彼方に消えていき、再びスクリーンに現れることは希です。TVニュースのカメラマンには「写真集」がありません。戦争が終わった後、私の手元には、「ドープ・シート」と呼んでいた、キャプション用紙の綴りがあるだけでした。撮影した日付や場所、リポートの簡単な概要やチームを組んだ仲間の名前が、一枚の用紙に記されています。これが、私の「舞踏会の手帖」となってくれました。記されている昔の仲間の行方を訪ね、連絡を取り合い、彼らの戦時中のエピソー

本(講談社)2008年10月号、p.40 平敷安常「ロバート・キャパになりたくて」平敷安常は、元・米ABC放送カメラマン。戦争は、ベトナム戦争。081023-177

歴史は勝者によって記されていく。

まさに、その典型例が、明智光秀という武将なのだと知った。我々が知る光秀像は、秀吉が天下を取ったあとに書かれた『太閤記』を代表とする軍記読み物によりでっち上げられた――というより、創作された――エピソードをもとに作り上げられてきたのである。 真実…

しかし、自分自身が産褥期の体調不良を経験してみると、お岩に対する考えも変わった。彼女が愚痴っぽいのは産後のマタニティブルーのせいではないか、簡単に毒薬を飲んでしまったのも健康を願う切なる思いゆえだったのだと、お岩のように寝ながら私は考えた。幸いひと月もすると元気になったが、産後の驚くべき不調を経験したことで、お岩が産婦として不幸な死を遂げたということの意味が、初めて問えるような気がした。また、具合の悪い妊産婦を、これでもかこれでもかと不幸にしていく設定を考えた作者・鶴屋南北の意地の悪さについても考えてみた

本(講談社)2008年10月号、p.11 横山泰子「ママでも本」自著『江戸歌舞伎の怪談と化け物』の宣伝文。本屋で見かけても手に取る可能性のなさそうな本だが、北京オリンピックにはじまって、『東海道四谷怪談』を『フランケンシュタイン』まで持ってきて並べら…

さて、海外でこれほど重視されているミルトンが、日本ではどれだけ受容されているだろうか。イギリス文学史のなかでシェイクスピアと並ぶか、少なくとも彼に次ぐと評価されながら、ミルトンの読者層は限られたものである。変幻自在で「万人の心を持つ」シェイクスピアと比べると、その強烈な自我のゆえに、謹厳な「ピューリタン詩人ミルトン」のイメージが先入観となって、近寄り難さを生んでいることは否めない。明治日本に作品よりも評伝が先に紹介され、崇高にして高潔な魂を持った果敢な行動人としてのミルトンに、プロテスタントの伝道者やジャ

未来(未來社)2008年9月号、p.27 佐野弘子「ミルトン生誕四百年 国際ミルトン・シンポジウムに出席して」ミルトン、知りまっせーん。あ、失楽園のミルトン。あー、あ、あ、あれね。若い時の丸暗記が今役に立つとは。こういうこともあるので、暗記が必ずしも…

「プラトニックラブって罪深いと思いません? だって、終わりがないんですもん」

朝日新聞2008年10月16日夕刊、1面 ニッポン人・脈・記 おーい 寅さん②(署名記事:小泉信一)いしだあゆみの言葉として紹介されていたものだが、プラトニックラブだって終わるでしょ? 終わってしまうプラトニックラブの方が多そうだし。それとも終わらない…

しかしながら、いくらひねったところで、学識・見識のたいしてない人があるように見せかけるわけだから、当然そこには無理と混乱が生じる訳であって、このように字というものはその偉さを主たる理由として、人に緊張や混乱を与えるものであり、いっそンな罪作りなものは止めてしまった方がよほど世の中のためといえるが、一概にそうとも言えぬのは、字が偉いには偉いなりの理由があるのであって、ただ、その偉い、という現象だけを見て、俺より偉い奴はみな気に入らぬ。世の中を阿呆に統一しろ。というのは、はっきりいって暴論、そんな無茶はわたく

なんてことは、 「はんちゃひら ふんじょらぎばさ けぺそんて へまちょぎっちょれ よじれまいおす」 或いは、 「さらこめて せけのとんなめ ぐるたらみ たれしりちらす あとはへらめも」 といった歌の前に無力で、こんなものは、はっきり言って言葉に対する…

世はまさにバブルであった。一歩、表に出ると、「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ」という声が鳴り響いていた。それだけではなく、あらゆる音が鳴り響いていた。クルマのクラクションの音。嬌声。舌鼓。クラクション。怒号。悲鳴。ファンファーレ。町のいたるところでくす玉が割れ、ひらひらが垂れ下がり、司会者が絶叫してた。全員が優勝者で、山のような賞金とエビオス一年分を抱えて走り回っていた。

町田康『破滅の石だたみ』(角川春樹事務所、2008年、p.24)「全員が優勝者」だったのに、でも何でかそこからはこぼれていた私だけど、今となっては、バブルはそんなだったような気がしてしまうのであった。081017-171

でも本当は三尺棚1本くらいをひなが一日いじくり回していたい。ときどき、並べた棚を二、三歩下がって眺めて惚れ惚れ。おお、なんと美しい棚でしょう! 左から右へ自然に流れて、まちまちな版型も脈絡を壊さずに美しく収まり、定番もあるべき位置にきちんとあり、おっと目を止めさせる破調の一冊もさりげなく差してある。まぁ、今こんなにのびんりしたことはちょっとやっていられない状況かも知れません。これを一日、棚20本くらいできればいいんだけれど。

ランティエ(角川春樹事務所)2008年10月号、p.98 本屋の本屋さん 第2回 リブロ池袋本店 矢部潤子さんすべての本屋さんが自店の棚をこんなふうに作っているんだとしたら、うれしくなってしまう。でない店が多いんだけどね。大型店でもがっかりなところが多い…

入院中は、何かというと、句読点のように「ありがたいねえ」が口に出た。

城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮社、2008年、p.149) 井上紀子「父が遺してくれたもの――最後の「黄金の日日」」城山三郎の遺稿で亡き妻への「ラブレター」と話題の本だが、内容以前に、体言止めの多い文体にのれなかった(完成稿ではないとあ…

鬼若とは武蔵坊弁慶が寺の稚児であった時の幼名。比叡山の古池に棲み、通りかかる者に害をなすという巨大な物体を三枚続の画面いっぱいに描く国芳のワイドスクリーン型の図としては早い時期の作。鬼若の括り袴や乳母・飛鳥の着物の紫、鯉の眼球の黄など褪色しやすい色が非常によく保たれている。

江戸東京博物館『ボストン美術館浮世絵名品展』の歌川国芳「(鬼若丸の鯉退治)」の説明文12日に江戸東京博物館行ってきた。本物の浮世絵は北斎のものをまとめて見たことがあるくらいだったので、「初期から幕末までの華麗なる浮世絵の歴史を概観」できるこ…

私のためにも地球を寒く。

マルイヤング新宿の外看板にあったコピー。地球温暖化が、広告にまで使われてしまうんではなぁ。冬服の方が夏服より単価が高いんだから(知らないけど)、売れなきゃ困るよーん、が本音にしても、ちょいと持ち出したくなってしまってるのね、地球温暖化。温…

卓也のその言葉を聞いて、のゆりは一瞬、ぞくりとしたのだった。世界がくるりと回転して、目の前に現れたのは今までと同じ世界のはずなのに、ところどころのものの、色や形がいつの間にか入れ替わってしまった、それでもおおかたのものは元通りで、じっと見ているうちに、何が入れ替わって何が元のままなのか、区別がつかなくなっていってしまう、そんな感じだった。

川上弘美『風花』(集英社2008年、p.249)くるりとは回転してないのだけど、どこか以前と違う世界にいるような気分になることがあった。くるりと回転する場面に遭遇したのなら、その謎にも迫れそうな気もするのだが、そもそも私のことだから、くるりと回転し…

選べるメイク撮り! カメラが自動で人の顔を認識し、イメージどおりの美しい印象へクリエイト。1〜12までのレベルに応じて、シミ・くすみの目立たない、ワントーン明るい肌色に。さらに、ふんわり、なめらかな肌感へと仕上げて、気になる小ジワもカバーします。写真に写った肌は透明感があって、若々しく自然な印象に。

※メイクアップレベルごとの効果には個人差があります。これは、カシオEX-Z300(デジカメ)のサイトにあった宣伝文。入念にメイクして、さらに写真でもメイクして、それ以前に整形しておくという手も今ではあるし、しかし何故に、自分無くしの行為に走る!? そ…

しかし、なぜにこんなに毎回毎回ヒトを失望の崖から突き落とすような、運転免許証の写真。友人のを頼み込んで見せてもらっても(頼み込まないと見せてくれない)、ほとんど、実物よりもショぼい。

きっとこれは、警察の陰謀ではないか。こんな写真の付いたものは、できるだけ日常的に出し入れしたくないものである。だから、違反や、事故を起こさずに、そっとしまっておけよ、ということなのかもしれない。そのかわり、もし、違反、事故の際には、時空の…

益川敏英さんの妻明子さん(65)は、京都市左京区の自宅で夫からの電話を受けた。「決まったよ」。突然のことで驚いていると、「忙しいから切るね」と、すぐ電話を切られたという。夫の口癖は「時間を決めておくと余計なことを考えなくていい」。毎朝必ず8時2分に家を出て、大学に向かう。「風呂は夜9時36分だ」も口癖だが、受賞の夜はその通りにいかなかったようだ。

朝日新聞2008年10月8日朝刊、34面妻によって語られたノーベル物理学賞に決まった益川敏英氏(南部陽一郎、小林誠の各氏と同時受賞)の生活ぶり。「時間を決めておくと余計なことを考えなくていい」というのはわからなくもないが、何でこんな細かな時間割なの…

本格的な山のぼりをしたことがない。山は、離れたところからながめるものだと、なんとなく思っていた。けれど、しばらく前に、初登山を経験した友人から葉書がとどいた。もう二度といいと思うか、好きになるか、どちらかだろうと思ってのぼったのですが、楽しかった。はやく、またのぼりたい。文面のことばは、ゆっくり、胸の底に落ちてきた。ああ、そういうものか、と納得した。

asta(ポプラ社)2008年10月号、p.130 蜂飼耳「近づいてくる遠くの山々」(石田千『山のぼりおり』の書評)誰しも山がそこにあったら登りたくなってしまうものと思っていたけど、そうではない人もいるのだな。変人と称されることの多い私だけど、すんごく普…

これで先祖霊への挨拶も終えた。神様への挨拶も終えた。精霊への挨拶も終えた。と思ったらもう羽田行の出発時間だ。友達にも会ってねえ。姪っ子にも会ってねえ。夜遊びもしてねえ。自分の時間なんて寝る前の三十分しかなかったよ。何しに沖縄に行ったんでしょう、と機上で我に返るのがいつものパターンだ。

要するにぼくにとって重要なのは生きている人間ではない、ということみたいです。 asta(ポプラ社)2008年10月号、p.9 池上永一「テーゲーチャンプルー 第二十四回 優先的関係」これでもかというくらい宣伝されている池上永一の新刊『テンペスト』だけど、読…

彼は生涯、童貞を貫いた。

――という一文を、幕末の思想家・吉田松陰を語る文面の中に、私たちはしばしば見つけることができる。その文言は、たった十行ほどの紹介文の中にも我が物顔でおさまっており、彼の残した数々の業績を浸食している。「松下村塾を開いた人」と同じくらいの比重…

うちが書く大阪弁は書きっぱなしなんで(笑)、東京弁で書くときは、なるべくまどろっこしい文章にしようと意識してます。トニ・モリスンとかアメリカ文学も好きなんですけど、翻訳文ってまどろっこしいじゃないですか。そこがいい。

最新作の『窓の魚』と次回作は、自分の中ではまどろっこしい東京弁で書きました。しばらく東京弁用の脳みそを使って、そこが疲れちゃったから、いま書いているのは大阪弁の作品。きっと脳みそがバランスを取ってるんやと思います。意識してというわけじゃな…

私たちの錯覚は、帝国主義が世界を分割してしまったように、言語が世界を分割していると思い込んでいることかもしれない。実際はそうではない。さまざまな椅子を「椅子」と名付けることによって、私たちは利益も得たが、粗雑にもなった。犬に比べて嗅覚は一万分の一にも鈍くなったそうである。他の感覚もそうだろう。

図書(岩波書店)2008年9月号、p.31 中井久夫「私の日本語雑記−十四 われわれはどうして小説を読めるのか」そうなんだ。だったら、言葉でもって世界を掴まえたいという願望のある私って……。081004-158

詩というのは、作者がいて、たとえば20行の完結した作品で、題名がついて、世間に発表します、という考え方だった。ところがこれは、ちょっとメディアの上で2、3行の言葉をつなげていくだけ。だから詩に対する考え方は革命的に違う。だけど、文学という考え方に立たないで、人と人との言葉によるつながりと考えると、むしろ詩よりもつながっていく可能性があるという感じですね。ここから何か新しいことが始まるかもしれません。

朝日新聞2008年10月2日、30面 つなげる 「生きる」瞬間 谷川俊太郎さんの詩にネット投稿 10ヵ月で4000件超 「コトバの波紋、面白い」谷川さん語る(署名記事:大井田ひろみ)ミクシィに立ったトピックで広がり、本も生まれた、んだって。引用はしたけれど、…

当の落語家はというと、案外うれしそうな顔をしない。柳家さん喬が「たっぷりなんて、無責任ですよ」と軽くとがめ、春風亭小柳枝が「こないだ、待ってましたと声を掛けた人が、すぐ出ていっちゃった」とかわしていたのを、寄席で聞いたことがある。

朝日新聞2008年10月2日、28面 寄席の掛け声 ちょっと待った 「大成功」「日本一」「たっぷり」……(署名記事:井上秀樹)ずいぶん行ってないので想像できないのだが、寄席は落語ブームで、掛け声が乱発気味なんだそうな。昔、やくざ映画のオールナイト上映な…