2008-10-27 彼らが写経した仏典のおおくは密教教典だった。九世紀ごろからインドで盛んになった密教がいち早くチベット語に翻訳され、聖なる言語であるチベット語教典として、コータン人や漢人にひろく普及したのである。つまり、一〇世紀から一一世紀にかけて、チベット語とチベット仏教は中央アジア・東北アジアの多言語・多民族社会の文化的な共通軸だったと言えるだろう。そしてそれは、一二世紀、西夏国におけるチベット仏教の流布、そして先述した一三世紀モンゴルのチベット仏教への帰依につながるものであった。 た 図書(岩波書店)2008年10月号、p.12 武内紹人「チベット文明のユニークさと普遍性−古文書研究の視点から」世界共通語的な存在だったチベット語……。081027-181