高島俊男『座右の名文 ぼくの好きな十人の文章家』★★★(文春新書570、2007-1)

この本の成り立ちがまえがきに書いてある。『本の雑誌』に書いた短文がきっかけでできたのだそうだ。そして、その短文も掲載されている。で、これが滅法面白い。 小生が、最も相性がいいと感じるのは斎藤茂吉である。つねに文章が正直で、鈍重でありながら爽…

多田千香子『パリ砂糖漬けの日々 ル・コルドン・ブルーで学んで』(文藝春秋、2007年)

著者は、朝日新聞に記者として十二年半勤めたが、「甘いものも辛いものも含む「おやつ」を作って書く人になろう」(p.105)と、えいやっ(?)と退職。パリに製菓留学してしまう。それはいいにしても、「渡仏当初はボンジュールとメルシィと、数は二十まで言…

谷川雁『汝、尾をふらざるか 詩人とは何か』(思潮社 詩の森文庫、2005年)

なぜなら俳句がつきあたれなかった近代思想の核にともかくも接触したのが現代詩であり、それは異文明をみつめてふっと黙ったカナリアの内なる〈唖〉の自己表出とみなせますから。すぐれた現代詩は一種の〈手話〉だとはいえませんか。現代詩の過去になんらか…

田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫、2000年)

ほかの模型メーカーは、つぎつぎとプラモデルの新作を出しました。私のところではあいかわらず、落ち目になった木製模型屋として細々とやっていました。 そんなおり、樹脂を扱っている材料屋さんから「新規に金型を作れないなら、不要になったプラスチック玩…

プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』下巻(草思社、1997)

わたしが何も話さないうちから、なんと多くの人がわたしについて語ってきたことだろう。なんと多くの人がわたしの写真を撮り、それをいかに自分勝手に使ってきたことか。虐待され、辱められて、なお生きている貧しい村娘を、人々は軽蔑してきた。 助けを求め…

『太宰治全集』8巻(ちくま文庫、1989年)

「大きいね。トラックが大きいね。」とお母さんはすぐに僕を口真似してからかった。 「大きくはないけど、強いんだ。すごい馬力だ。たしかに十万馬力くらいだった。」 「さては、いまのは原子トラックかな?」お母さんも、けさは、はしゃいでいる。(p.143『…

仕事の流れが途絶えたのも、必然かもしれない。今こそ、誰に頼まれなくてもいい、ただひたすら面白いと思う脚本を好きに書く時なのだ。「好きに書く」ことは容易ではない。面白さをジャッジするのも自分だし、誰にも言い訳が出来ない。今まで以上に難しい。今の心境は「脚本家になりたい」と願った、コラムの初回に戻ったようだ。コラムは終わる。だけど、僕が語るべき物語は、これからはじめなければならない。

ポンツーン(幻冬舎)2008年10月号、p.59 辰美イサム「痛風シネマ倶楽部78 終わりから、はじまる物語――。」この連載の存在は知らなくはなかったが、観る前の映画の情報は極力避けているため、ちゃんと読んだ記憶がなかった。したら、最終回なんだって。と言…

彼らが写経した仏典のおおくは密教教典だった。九世紀ごろからインドで盛んになった密教がいち早くチベット語に翻訳され、聖なる言語であるチベット語教典として、コータン人や漢人にひろく普及したのである。つまり、一〇世紀から一一世紀にかけて、チベット語とチベット仏教は中央アジア・東北アジアの多言語・多民族社会の文化的な共通軸だったと言えるだろう。そしてそれは、一二世紀、西夏国におけるチベット仏教の流布、そして先述した一三世紀モンゴルのチベット仏教への帰依につながるものであった。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.12 武内紹人「チベット文明のユニークさと普遍性−古文書研究の視点から」世界共通語的な存在だったチベット語……。081027-181

詩というのは、作者がいて、たとえば20行の完結した作品で、題名がついて、世間に発表します、という考え方だった。ところがこれは、ちょっとメディアの上で2、3行の言葉をつなげていくだけ。だから詩に対する考え方は革命的に違う。だけど、文学という考え方に立たないで、人と人との言葉によるつながりと考えると、むしろ詩よりもつながっていく可能性があるという感じですね。ここから何か新しいことが始まるかもしれません。

朝日新聞2008年10月2日、30面 つなげる 「生きる」瞬間 谷川俊太郎さんの詩にネット投稿 10ヵ月で4000件超 「コトバの波紋、面白い」谷川さん語る(署名記事:大井田ひろみ)ミクシィに立ったトピックで広がり、本も生まれた、んだって。引用はしたけれど、…

もうひとつは、「鎖国観」をはじめとして、近現代が江戸時代をどう誤解しながら描いてきたか、の歴史をまとめることである。そこに見えるのは江戸に対する近現代の幻想(私自身の幻想も含め)の歴史ではないか、と思う。なぜ全人口の六%しかない武士ばかりが時代劇や時代小説の主人公になり、ほとんど起こらなかった剣の抗争を展開するのだろうか? なぜ「武士道」という江戸時代には存在しない概念が、日本人の誇りの核心のように論じられ、世界に宣伝されたのだろうか等々、不思議なことはたくさんある。

図書(岩波書店)2008年8月号、p.23 田中優子「江戸に新しい物語を」渡辺京二の『逝きし世の面影』を読んで、江戸時代の日本人というのは今の私たちとはまったく違う人種?だったのかもしれないと思ったものだが、田中優子もそういうようなことを別な角度か…

千惠子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ、 私は驚いて空を見る。 櫻若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 千惠子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる障u…

ただ「仲良し」を言うだけなら幼児にさえできる。必要なのは、人々が社会に対する順応を放棄し「KY」とならざるを得ない状況をつくり出すことではないか。このまま人々が「社会とつくる自由」と発現しえぬ、つまり、社会に何ら責任を負えぬのならば、人民主権を意味するデモクラシーという言葉も虚妄のまま果てるしかあるまい。

朝日新聞2008年7月12日、15面 竹井隆人「KYのすすめ 「異なる他者」とつくる社会」「空気が読めない」というのは、ふつう、やはり否定的な意味で使われてるんだよね。口には出さないまでも、ついそう思ってしまうことが多いものなぁ。けど、山本七平に言わせ…

あまりに、おあつらえむきの富士である。まん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両そでにひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。わたしは、一目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、ふろ屋のペンキ絵だ。芝居の書割だ。どうにも注文どおりのけしきで、わたしは、恥ずかしくてならなかった。

太宰治『富岳百景』(現代国語2、筑摩書房、S42、p.41)5日に山中湖に行くことになっている(実は今日はまだ3日なのだが、遊びに出かけるのだからと、先回りしてブログの準備をしてるんである。当日更新なんてめったにしたことがないってーのにか)。山中湖…

ただ、十数年前の私は、親から金をむしり取って映画を観にゆく電車の中で、自分と同い年くらいの大学生風の人たちやサラリーマンなどに囲まれ、こういうちゃんとした生き方をしないといけないんだろうな、と思う裏側で、自分の読書歴を思い返し、この電車に乗っている人間の中で「源氏物語」の原文を二回通読したのはたぶん自分だけだろうな、と、不遜で、無恥で、無礼で、しかしこの世で自分にとってだけは多少の意味がないわけでもないことを思い巡らせて、卑屈に安心していた、ということを、最後に書いておく。

朝日新聞2008年6月4日、18面 田中慎弥「夢も希望もないから」これで一文かや。なげー。田中慎弥は1972年生まれの小説家(山口県下関市出身)。ここ数年で、第37回新潮新人賞受賞、第136回、第138回芥川賞候補、第34回川端康成文学賞、第21回三島由紀夫賞とめ…

行政訴訟や公害訴訟、薬害訴訟などではなかなか民主主義を標榜しない裁判所が、なぜ刑事裁判で民主主義を唱えるか。気味悪い判決だと私は思った。

朝日新聞2008年5月29日、15面、私の視点 高村薫「民主主義への脅威なのか 長崎市長射殺に死刑判決」ふうむ。080606-45

ライブで言いたいことは言ってる。飲んでいる時はおまけだ。

18日に観た映画『タカダワタル的ゼロ』(監督・脚本:白石晃士)で、高田渡が言っていた。飲んでる時にね。確かにライブでの彼は真面目で真剣。「いせや」で酒を前にしているのは、別人、なのかなぁ。3年前に死んじゃってるんだから、映画にいる高田渡はもう…