多田千香子『パリ砂糖漬けの日々 ル・コルドン・ブルーで学んで』(文藝春秋、2007年)

著者は、朝日新聞に記者として十二年半勤めたが、「甘いものも辛いものも含む「おやつ」を作って書く人になろう」(p.105)と、えいやっ(?)と退職。パリに製菓留学してしまう。

それはいいにしても、「渡仏当初はボンジュールとメルシィと、数は二十まで言えたかどうか」なのに一人で不動産屋まわりをし、何とパリのアパートの一室を購入してしまうのである。無謀(額面通り受け止めればだけれど)というより、これほどぶっ飛んだ発想が私にはないんで(アパートの件は、仲違いしなければ知人に協力してもらうつもりだったとある)、だからまあ、こんな顛末を読んでいるだけでも面白いのなんのって。

 校内で履く靴はレ・アール近くの厨房衣料店で買った。包丁や重い鍋が落ちても平気なように、つま先に金属が入った安全靴だ。安全靴なんて工事現場だけかと思っていたが、厨房用もあるんだ。ちょうどいいサイズは安全靴というより安全サンダルだった。かかとにナイフが飛んできたら大丈夫かな。ほかの型は品切れと言われた。しかたない。学割の一〇%引き、五十一・六ユーロ(七千七百四十円)で買う。ふだんから合う靴がなく、サンダルも履けない。私の足、耐えられるだろうか。(p.40)

新聞記者だっただけあって文章が短い。だからがんがん読める。けど私は、実は長い妙ちくりんな文が好きだったりするんで、こう短文ばかりで書かれると、かえって乗れないというか、ぞんざいな気分になってしまうときがあった。

ところでどうでもいいことだが、まだ数字の表記をアラビア数字にしていないのは(この方がいいけどね)、著者が在職中は新聞も漢数字だったからとか? って、いつ変わったのか調べたわけではないのだが。

また、貧乏生活といいながら、後半ではかなり余裕の旅行をしていたり(ル・コルドン・ブルーの学費は高いのだ)、一時帰国していたことが唐突にわかったり(日本で『かもめ食堂』を観た、って)で、つまり意外と全体像がつかみにくかったりするのである(これも短文にこだわったからじゃないかと意地悪く思ってみたりも)。

 パリの料理学校でフランス菓子を学んだ。シェフの作るチョコレート菓子の「オペラ」やアメ細工は美しかったが、華やかすぎて「ここまで飾り立てないといけないの?」と思った。その反動で素朴な一枚のサブレにホッとした。美しい菓子の作り手ならいくらでもいる。私は気取らない「おやつ」がある幸せを伝えたい。ぶきっちょさんだって、手作りして贈れば、どんな有名な菓子職人の菓子より喜ばれる。「へぇー、あなたが作ったの?」と言葉が生まれる。人と人とを結ぶ力がある。
 フランス語に苦労して、母国語の大切さも身にしみた。パティスリーとかスイーツとか言われると落ち着かない。ケムにまかれているみたい。わざわざ横文字にしなくていい。「お菓子」「おやつ」といった美しい言葉があるのに。フランス語も日本語も大事にしたい。(p.246)

この後、京都の町屋を借りる話になってお終い。あら、また不動産屋話になったところでお終いだ。

著者については「おやつ新報 http://www.oyatsu-shinpo.com/」を参照されたし。