恩田陸『蒲公英草紙 常野物語』(集英社、2005年)

 子供の頃に読んだお気に入りのSFに、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズというのがあった。宇宙旅行中に地球に漂着し、高度な知性と能力を隠してひっそり田舎に暮らす人々を、そこに赴任してきた女性教師の目から描くという短編連作で、穏やかな品のいいタッチが印象に残っていた。
 ああいう話を書こうと気軽な気持ちでこのシリーズを始めたのだが、その都度違うキャラクターでという浅はかな思い付きを実行したために、手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった。今にしてみれば「大きな引き出し」の春田一家の連作にしてもよかったなあ、と少々後悔している。
「オセロ・ゲーム」や「光の帝国」はもともと独立した長編で考えていたものだし、「達磨山への道」は、四人の少女の神隠しの話のプロローグとなるエピソードとして予定していたものだった。少女達が神隠しにあうまでの話や、拝島暎子が夫を取り戻す話は、また別の機会に書いてみたい。もちろん、光紀や亜希子が大きな仕事をやりとげる話も。
 そして、この拙い世界を読んでいただいた皆様に、「常野」より果てしない愛をこめて、お礼を申し上げたい。 

上の引用は、『光の帝国』にあった恩田陸の「あとがき」からで、これを読んでいたら誰もが「常野物語」という同じ副題のある『蒲公英草紙』には、上記のどれかが書かれているのだろうと思うのだが、恩田陸はまた違う手法を使ってきた。まったく、才能がありすぎるっていうのも考え物じゃないかなぁ。って、いきなり文句を書いてしまったのは、この作品が私の趣味ではなかったからなのだけど。

「なんということでしょう。自分の作った仏が誰かを殺める理由になるとは。そのとたん、わたくしは自分の周りからそれまで感じていた存在が消え去っていることに気付きました。自分が今まで感じていたものはまやかしに過ぎなかったと。単に自己満足の手段として、誰かに褒められることを期待して仏を感じているふりをしていたにすぎなかったのだと」(p.168)「殺」に「あや」のルビ

 置いていかれてしまう。彼らは私を見捨てるのだ。
 知らず知らずのうちにぽろりと尋ねていました。
「あなたたちは、だれ?」
 光比古さんはきょとんと私の顔を見ました。私の質問の意味が分からないのでしょう。実際、わたしにもなぜそんなことをきいたのか分かりませんでした。
 が、光比古さんは小さく頷き、にこっと笑いました。
「僕たちは、峰子さんさ」
「え?」
 今度は私が面食らう番でした。光比古さんは言葉を続けます。
「というか、みんななんだ。僕たちは、みんなの一部なんだよ。みんなの一部が僕たちなんだ。みんなが持ってる部分部分を集めたのが僕たちなんだって」
 その言葉から、それが葉太郎様の言葉の受け売りなのだと分かりました。葉太郎様は、いつもそう彼らに話しているのでしょう。(p.247)

 そして、彼らは旅立ちました。
 来た時のように淡々と。少ない荷物をこぢんまりとまとめて、当たり前の顔をして去ってゆきました。
 みんなの心をそっと撫でて。私の幸せな少女時代を連れて。(p.248)

『光の帝国』とは装いを異なる物語にしたということは、この続篇もまだ考えているのかしら。これを読んでも「常野一族」についての知識はほとんど増えなかったので、ぜひ続篇を!