2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「父も母も、教師で。母は小学校で、父は大学で教えていました。だから、政治的な季節が来れば、うちはいちばん最初にターゲットになってしまう感じ。それともう一つは、出身がよくなかったんですね。出身階級というのがあって、母の家は地主の出身で、親戚には海外に行ったりした者がいて、外国と関わりを持つ人たちはまず信用されない社会でしたので、なおさら問題にされる環境でした」

本の話(文藝春秋)2008年8月号、p.9 楊逸 著者インタビュー 天安門から遠く離れて(聞き手:「本の話」編集部)オリンピックということもあり、中国の映像はかなりの量が入り込んでくるようになったが、映像だけではそこにある背景はなかなかわからない。こ…

「皆が思っているほど特に新宿にこだわっているわけではないですよ。だけど象徴的な街なんです、新宿は。犯罪者もいるし、中国マフィアもいるし、真面目に働いているやつらもいる。

新宿浄化作戦とかは、それらを一緒くたにしてしまう、その想像力の無さが嫌なんですよ。やっぱり画一的な考え方を壊してやりたいというのが俺の中にはあるんでしょうね。壊せなくとも、この辺でちょっと暴れとかないとダメだろうなというのが」 本の話(文藝…

文楽に登場する男は、やたら泣く。大人になっても親に叱られて泣き、金がなくて泣き、女にふられて泣き、女に尽くされてもありがたさに泣き、一日ニ四合ノ玄米ヲタベルヤウナモノニワタシハナリタイ、という勢いで泣き、とにかく悔しくても悲しくても愛しくても怒っても情けなくてもすぐに泣く。

青春と読書(集英社)2008年7月号、p.36 三浦しをん「日常劇場 第9回 泣き男」そう言われてみると……。江戸時代の先進性が、三浦しをんの手によっても解き明かされていく……。080729-98★080908追記 「現代人の涙の量は、100年前の3分の1にまで減ったとされてい…

最初から意識したわけではないが、斉木斉と梢田威の凸凹コンビが活躍する、いや、かならずしも活躍しない〈御茶ノ水警察シリーズ〉は、そうしたこの街の変化を克明に書き留める、という目的を持つことになった。第一作を書いてから、すでに二十年以上にもなるが、二人は少しも年を取らない。わたしもよく知らないが、二人とも三十代半ば、あるいは後半のままである。

その間に、当初は、〈防犯課〉だった二人の所属部署も、何年かのち〈生活安全課〉に変わった。同僚の五本松小百合も、最初は〈私服の婦人警官〉だったが、今ではれっきとした〈女性刑事〉である。公衆電話、赤電話はしだいに姿を消し、携帯電話がこれに取っ…

一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。以上の諸例は、われわれが「空気」に順応して判断し決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのでないことを示している。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常

山本七平『「空気」の研究』(文春文庫、2000、p.22)昨日の続き。「空気」も研究されてしまうと、なかなかに難しいものなんである。080727-96

ただ「仲良し」を言うだけなら幼児にさえできる。必要なのは、人々が社会に対する順応を放棄し「KY」とならざるを得ない状況をつくり出すことではないか。このまま人々が「社会とつくる自由」と発現しえぬ、つまり、社会に何ら責任を負えぬのならば、人民主権を意味するデモクラシーという言葉も虚妄のまま果てるしかあるまい。

朝日新聞2008年7月12日、15面 竹井隆人「KYのすすめ 「異なる他者」とつくる社会」「空気が読めない」というのは、ふつう、やはり否定的な意味で使われてるんだよね。口には出さないまでも、ついそう思ってしまうことが多いものなぁ。けど、山本七平に言わせ…

谷口は俺を呼ぶと駆け寄ってきた。いや、飛びついてきた。

「神谷くん!」 谷口を抱きかかえるような格好になって、あまりにビックリして後ろにひっくりかえりそうになった。え? あの……? 頭が一気にぶっとんだ。世界が消えた。全部、消えた。 一生ぶんくらいの時間が過ぎてから、世界がじわじわと戻ってきて、ど、…

「変質者の役とかも大好きだったから、喜んでやってました」

R25(リクルート)2008年7月17日、No.200、p.23 温水洋一ロング・インタビュー(文:兵藤育子)私もやってみたいです、変質者。地でいけそうな気もするし。でも演技となるとどうなんでしょ。080724-93

連に出くわすのが一番イヤだった。あいつは何も言わないし、俺がいくらウジウジしてても責めたりしないのはわかってるけど、あいつの存在自体がまぶしいというかきつかった。連は、“走る男”なんだ。そして、“俺を走らせる男”なんだ。走ってない俺ってのが、あいつの前ではありえない。自分がありえない存在のような気がする。不思議だ。だって、二年前はそんな付き合いじゃなかったのに。

佐藤多佳子『一瞬の風になれ 第二部 −ヨウイ−』(講談社、2006年、p.253)こんな友だちが、高校の時にいたら、どんなだったろう。と、晴れがましい自分を想像しているようだから、ダメなのだな。強力な磁力を持つ友だちを見つけられなかったのは、自分のせい…

韓国に行くと食堂で出てくる爪楊枝がちょっと変わっている。トウモロコシのデンプンでできている。歯をつっついているとすぐふやけて使いづらい。だが、用は足りる。日本みたいに木や竹の爪楊枝は法律で禁止されているそうだ。

暮しの手帖、2008年春、No.33(386)、p.148 潮田道夫「今日よりも明日14 いざとなればイモがあると言うけれど」著者の論点からは少し外れる引用かもしれないが、このデンプン爪楊枝話(これだと残飯を家畜の餌にできる)は、発想を変えればこんな法律も生ま…

このままでは、ハゲの未来はハゲの頭ほどにも明るくならないだろう。これほどに“本人の責任でないマイナスイメージ”をはらみながら、何故「ハゲ」は差別語として問題化されないのだろうか。この差別語神経過敏症の時代においてである。どうも、差別語のしめつけがきびしくなるにつれ、そのストレスが、ボーダーラインすれすれの『ハゲ』にぶつけられてるような気がしてならないのだ。

松尾スズキ『大人失格 子供に生まれてスミマセン』(知恵の森文庫、2004、p.103)ハゲと「ハゲ」と『ハゲ』の使い分けの意味がわからず、悩むこと○日。「差別語神経過敏症」(なるほどねー)の時代にあっては、ハゲという言葉も次第にエスカレートして、その…

「万年筆」といってもその名の通り1万年も使えるわけじゃない。「鉄棒」はたしかに鉄の棒だけど、ちょっとそのまんま過ぎはしないか。そんな「言い過ぎ名前」と「そのまんま名前」、他にこれはどうかなーと思ってしまう「どうかなー名前」も集めた。

倉本美津留『どらごん 道楽言』(朝日出版社、1999、p.23)「もっと見ていてワクワクする、用事もないのに、ついつい引いてしまいたくなる、そんな国語辞典や漢和辞典があってもいいんじゃないかなぁ」ってことで作ってしまったという本。上のは「おかしな名…

なんでこんなに淋しいんだろう、とあたしは思った。この淋しさは時間がたてば薄らぐと知っていたけれど、そんなこと知っていても、なんの役にも立たなかった。ただ淋しかった。あんなに彼のことを好きだったのに、と一瞬思ったが、それが嘘なことも知っていた。あたしはそれほど彼に夢中ではなかった。だって、彼もあたしに夢中になってくれなかったから。あなたが彼に夢中にならないから彼もあなたに夢中にならないのよ、と忠告してくれた友だちもいたけれど、それはなんだか、違う。あたしは夢中になる用意ができていたのに。いつだって、できてい

川上弘美『ざらざら』(マガジンハウス、2006、p.126)23ある収録作品の『淋しいな』から怪しげな「籠おばさん」の出てくる短篇もあるが、まあ、普通の恋愛小説集である。どうでもいいことなのだが、この本を読んでいて、寅さん映画を観てる気分になった。内…

「蛸は海に戻らなかった。蛸はすでに人間と成り果ててしまったからである。蛸の二年は人間の二百年。たいした年月でもないに、蛸はたったの二年で人と成り果てた。すでに蛸の生涯はよう思い出せぬ。人間であるおれは女が好きだ。女はやわらかくて冷酷で何も考えていなくてかわいいものだ。女をよがらせてこその男である。これを旧態依然と言い捨ててはいけない。おれにはおれの考えがある。貴様は貴様の道をゆけばよい。おれにはもう海底という拠りどころがなくなってしまったのでそぞろ歩くばかりだ。人間の境涯は、つらい。蛸に戻りたい。しかしも

川上弘美『龍宮』(文藝春秋、H14、p.28)8ある収録作品の『北斎』から何勝手なことをでっち上げて、と思わず言いたくなるわけのわからん物語集(『蛇を踏む』もこんなだったか)。出てくるのは、人間もむろんいるのだけど、人間ではない。なんだけど、でも…

タイトルを決めかねていたときに書店で偶然眼にしたのが、当時ベストセラーにもなっていた司馬遼太郎の『燃えよ剣』だった。これだと思い、司馬に電話した。今度公開されるカンフー映画のタイトルに「燃えよ」という言葉を使わせてほしい、と緊張しながらお願いしたところ、司馬は半分あきれたように笑いながらも快く了解してくれた。

本の話(文藝春秋)2008年7月号、p.68 藤森益弘「早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術 ワーナー映画宣伝部から見た戦後洋画配給の歴史」最終回「早川龍雄氏の……」だけど、この『燃えよドラゴン』の邦題にまつわる話は、早川の上司だった宣伝部長、佐藤正二のもの。…

「そうそう、それから科白を言う時ですけれどね、ご自分の科白をすぐおっしゃっては駄目よ。照明が当たって、お客様が貴方の顔を見たら、『わたしを見て、わたしを見て、わたしを見て』と三回おっしゃいな。それから科白を言ってくださいね。そうすると、客席にしっかり伝わりますからね」

本の話(文藝春秋)2008年7月号、p.64 吉行和子「ひとり語り」第14回吉行和子が「大川橋蔵特別公演、新吾十番勝負」で歌舞伎座の舞台に立ったとき、女形の先生にこう言われたのだと。これまでやってきたこととはまったく正反対の演技、化粧のやり方からして…

えぇと、そんな日々を思い出しつつ、『カイシャデイズ』を書きました。というと嘘になります。正直、この小説の舞台である会社、〈ココスペース〉の社員達にはモデルがおりません。しいていえば、どれもこれもぼく自身です。

この際だからはっきり言っちゃいますか。 駄目なヤツはぼくで、ちょっとかっこいいヤツはぼくがこうなりたいという人物です。うんとかっこいいヤツはでてきません。ついでにいえばアイドルっていうか、マドンナ的存在の女性はぼくの好みです。はい。 本の話…

この書評を執筆している時期には、硫化水素を使った自殺が全国で流行していたが(本稿が活字になる頃には少しは収束しているだろうか?)、それが衝撃的だったのは、手軽な自殺の方法さえ見つかれば、躊躇なく死を選んでしまう人間がこんなにも多い――という事実を世間に思い知らせたからである。連鎖自殺そのものは二〇世紀にもしばしば起こっていたけれども、例えばアイドル歌手の後追い自殺のような現象が、激流に身を投じるような一種のファナティックさを感じさせたのに対し、硫化水素自殺の流行は、もっと淡々としているぶん、人々と絶望のあ

本の話(文藝春秋)2008年7月号、p.21 千街晶之「希望と絶望の戦い」柴田よしき『神の狩人――2031探偵物語』の書評。本は2031年が舞台で、女性私立探偵の話だが、書評子がことさら今の状況を述べるのは、って解説の解説をしてもしゃーないか。元本を読んでな…

「ガソリンが高くなったので軽自動車に買い換えました」。そんな発言をテレビで聞いた。フリーターには車を買うこと自体が難しいというのに……。この国の安定労働層は「私たちはこれ以上、生活レベルを下げられない」というメッセージばかり発してくる。

朝日新聞2008年7月8日、22面 秋葉原連続殺傷1ヶ月 3氏に聞く 赤井智弘、宮台真司、なだいなだ一度手にした生活レベルは下げられないようだ。当人たちはそうは言わないが、この事例は、私もいくつか耳にしてきた。ある人が借金を申し出る姿に(もっともこれは…

予は宗教を哲学にて説明し、若しくは科学にて解釈せんとするものを見て、寧ろ御苦労千万のことゝ思ふてゐる。宗教は謂はゞ人の心の底から現出せられたる美術である。それを科学的弁証法や、哲学的推理法を以て、説明せんとするは、全く見当違ひであらう。固より宗教の補助学としては、哲学も科学も無用ではあるまい。

併し宗教そのものの本体は、決してさるものでは無い。宗教は予の見る処では、論ずべきものでは無くして、信ずべきものである。 民友(蘇峰会)春季号、H20年4月、p.3 蘇峰 徳富猪一郎「−蘇峰自傳−自らを解剖す(二十三)」徳富蘇峰に入れ込んだからではなく…

「ちょっとヤバイ傾向だな」

例によって女ともだちとの真夜中の電話である。ものに対する欲望、「欲しい」という感覚がまったくと言っていいほど消えている……。そんな話をしていた。 「子どもの頃は、デパートひとつ、ぜーんぶ欲しいと思ったこともあったのに」と女友だち。欲望に振り回…

やがて、真紀は煙草を覚えた。

はじめて店においてある煙草の封を切ったとき、ああこんな風に喫いはじめるのか、と思った。 煙草を喫う女が好きではなかった。 いまでも人前では喫わない。ひとりのとき、煙が動くのがよかった。周りの空気が透明すぎるより、少しぼかされていることが慰め…

生中継10秒遅れ

朝日新聞2008年7月9日、15面 生中継10秒遅れ 中国 中国共産党宣伝部は、北京五輪の生中継を10秒間遅らせて放送するよう全国各地のテレビ局に通知した。選手らがカメラの前で政治的行動をした場合などに対応するための措置。8日付香港紙、明報が伝えた。 外国…

誰もが、祝福した。

誰もが、祝福しすぎることで、人々の内心の思いが逆に浮かび上るようであった。網元の長男と校長の娘の、いわば選ばれた、恵まれた婚礼を、同年輩の青年たちも、少しも斜めに見なかった。それが、かえって二人の行先きの不幸を、人々が予想していることを示…

蘇峰は、50本以上の杖を所有し、愛用していた。山中湖畔の自然木からも自作していた。「ステッキとしては、未成品であり、薪としては既製品であるという如き姿」と『蘇峰自伝』でのべている。

徳富蘇峰館にあった「愛用の杖」の説明プレートから徳富蘇峰館には「愛杖家」蘇峰の杖45本が展示してあったけど、「薪としては既製品」かしらね。ここでのんびりしすぎたせいか、併設の三島由紀夫文学館が駆け足になってしまったのだな(出かけたのは6日の昨…

晩景の富士は、英雄偉人の晩節のごとく、実に見栄えがある。富士を礼賛するのは月並みであろう。けれども我等は正直に富士を礼賛する。

徳富蘇峰館にあった「蘇峰の愛した山中湖と富士山」の説明プレートから富士を褒めるには、とりあえず、月並みとか言って、断りを入れてみたくなるのかもね。もしくは太宰のような態度をとったりしてさ。080706-75

あまりに、おあつらえむきの富士である。まん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両そでにひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。わたしは、一目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、ふろ屋のペンキ絵だ。芝居の書割だ。どうにも注文どおりのけしきで、わたしは、恥ずかしくてならなかった。

太宰治『富岳百景』(現代国語2、筑摩書房、S42、p.41)5日に山中湖に行くことになっている(実は今日はまだ3日なのだが、遊びに出かけるのだからと、先回りしてブログの準備をしてるんである。当日更新なんてめったにしたことがないってーのにか)。山中湖…

「国民の司法参加」というなら、そもそも刑事事件などではなく、たとえば「国を相手取った裁判」にのみ、裁判員制度を導入したらよいのである。裁判で私が何より不満なのは、国や行政が相手の裁判では、たいてい国に有利な判決が出ることだ。その慣例を破るためなら、裁判員制度もいいんじゃない? もちろんその場合は、国にも相応の覚悟が求められるわけだけど。

ウフ.(マガジンハウス)2008年7月号No.073、p.67 斎藤美奈子「世の中ラボ その25 それでも裁判員制度はやってくる?」ほんとに「それでも裁判員制度はやってくる?」んだよね? 裁判員制度については、ずーっと悩み中。自分にそんな資格があるとは思えない…

2005年からローマで2年近くを過ごした。イタリア映画を研究するために留学していたのだ。友人たちには、「いいよねぇ、ローマに住めるなんて。毎日がローマの休日じゃない」とよく羨ましがられたものだけれど、いやいや、そんなことはない。僕がおくっていたのはあくまで「ローマの平日」であって、何もすべてがバラ色の日々だったわけではない。

ウフ.(マガジンハウス)2008年7月号No.073、p.10 野村雅夫「イタリアが贈る寓話、『1日3時間しか働かない国』から未来の人間が見えてくる。」いやいや、そんなことは、なくはない。本人以外には、ローマの休日でしかありません。080703-72

水俣病以前、この地方にはおおらかで上代的な、神遊びに近い漁法がさまざまあった。今は、考え方も労働も、暮らしの中身も、田舎なりに近代化されたわけだが、私どもは大切な何かを失った。何を失ったのかさえ、思い出せないかもしれない。

原始採集漁民、という言葉がある。おくれた職業というふうに意味づけて。働く実感さえもてない職種が出てきたこの時代に、遊びに近い労働の妙味が失われたことを、土本典昭さんは映像で表現してみせた。 朝日新聞2008年7月2日、36面 石牟礼道子「やさしい阿…