姫野カオルコ『終業式』(角川文庫、H16-1、解説:藤田香織)★★★☆

まだ二冊目だが、姫野カオルコ中毒になりそう。というほどには何もわかっていないのだけど。ま、それは解説の藤田香織も言ってることで、要するにお楽しみが沢山残っていることなのかと……。 この物語は、これまでの著者の作品の中で、一番「普通」の話です。…

情報が何もないところと情報が洪水のようにあふれているところって同じようにたったひとりの気分になれるんです。

メトロミニッツ(スターツ出版)1月号、p.47 藤原新也「撮りながら話そう コスモスの花咲くころの郵便配達」 彼女の書いた住所に彼女はいない。 だけどいま僕は彼女の心の真っ只中にいる。 そんな気がした。 081220-228

それに、ある村が戦場になり、双方の軍がその村を挟んで、にらみ合いになる。黙っていると、両軍から税(年貢・夫役)を二重取りされる。こういう事態はよく起きていたらしく、中世の村では、それを「二重成」といって、ひどく嫌った。そこに、新たに「半手」という習俗が育っていた。双方の軍に税を半分ずつ納め、現代の板門店のような厳しい境界を設けず、村人の出入りは自由、というのが習わしであった。そんな両属の村が、戦国の世には、至るところにあったらしい。戦国の大名たちの合戦は、領土紛争ではあったが、半手といのは、境界をアバウト

(注:「夫役」には「ぶやく」、「二重成」には「ふたえなし」、「半手」には「はんて」のルビ) 本(講談社)2008年11月号、p.25 藤木久志「村に戦争が来た」「村に戦争が来た」ら、村人はどうしてたかという話の、ほんの一部(要約力がないんで、だからっ…

この数年、地味系スポーツを題材にした小説がヒットしていることもあり、それまでしらなかった世界を、汗もかかずエアコンのきいた部屋で、のほほんと覗き見る機会もぐっと増えた。そんなとき、つくづく読書の幸福を噛みしめてしまうのだ。

星星峡(幻冬舎)2008年9月号、p.96 藤田香織「汗とは無縁の室内で、熱き戦いを読む幸福。険しき「武士道」をつき進む、剣道少女再登場!」(誉田哲也『武士道セブンティーン』の書評)そう言われてみると、読書(映画とかも)なんて、ずいぶんといい加減な…

私たちの大便は、だから単に消化しきれなかった食物の残りかすではないのです。大便の大半は腸内細菌の剥落物、そして私たち自身の身体の分解産物の混合体です。ですから消化管を微視的に見ると、どこからが自分の身体でどこからが微生物なのか実は判然としません。ものすごく大量の分子がものすごい速度で刻一刻、交換されているその界面の実は曖昧なもの、きわめて動的なものなのです。

本(講談社)2008年9月号、p.23 福岡伸一「世界は分けても分からない4 相模原、二〇〇八年六月」切り離しが行われたかどうかでいいじゃないかと思ってしまうのだけど。素人は大局観ですよ、ってそういう論旨ではないようで。福岡伸一の最近の露出度の高さっ…

この窮状 救えるのは静かに通る言葉

朝日新聞2008年9月13日、2面 ひと欄「還暦に憲法への思いを歌う沢田研二さん(60)」(文:藤森研)静かに通る言葉を言える人になるのが、まず私の場合は難しい。って、すぐそんなふうに話をもっていくからダメなのね。 「我が窮状」 作詞:沢田研二、作曲:…

一日歩いて一度もシャッターを切ることなく、徒労感にとらわれることもある。そういうときは仕事になってないのだから、ホテルに泊まるのも気が引けるというものですよ。

ぼくはインド、アメリカ、東京と旅してきたけれど、こんなに地味な仕事は初めて。地方は疲弊し、逼迫してるんですね。 道を歩いていて、ふと小耳にはさんだ話から物語が始まるということもなくなったしね。空気までが動いていないと感じることもある。たとえ…

「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」

福田康夫同じだったら記者だって質問などしないでしょ。それを「違うんです」って、あなたの言う客観的と私の客観的は、客層が違うんであって、は、客層? だって客観的が違うってことは、ふゅー。むきまきへみし。ふごー。私の独り言はともかく、最後に付け…

タイトルを決めかねていたときに書店で偶然眼にしたのが、当時ベストセラーにもなっていた司馬遼太郎の『燃えよ剣』だった。これだと思い、司馬に電話した。今度公開されるカンフー映画のタイトルに「燃えよ」という言葉を使わせてほしい、と緊張しながらお願いしたところ、司馬は半分あきれたように笑いながらも快く了解してくれた。

本の話(文藝春秋)2008年7月号、p.68 藤森益弘「早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術 ワーナー映画宣伝部から見た戦後洋画配給の歴史」最終回「早川龍雄氏の……」だけど、この『燃えよドラゴン』の邦題にまつわる話は、早川の上司だった宣伝部長、佐藤正二のもの。…

私は通称・回文刑事。

物事を裏から、そして言葉を下から眺めることのできる県警唯一の男だが、この新米はまだ私の作品に気付いていない。 中村航、フジモトマサル『終わりは始まり』(集英社、2008年、p.7)そりゃ気付きませんよ。私もいままでに数人から「回文って何」と言われ…

それでも僕らのいる部屋の、明かりのともった一列の黄色い窓が、都市の頭上高くにぽっかりと浮かんでいる様は、暗さを増していく通りに立つ行きずりの人の目には、秘密めいた人の営みの一端として映っているに違いあるまい。僕はまたその行きずりの人でもあった。上を見上げ、そこにいったい何があるのだろうと思いを巡らしている。僕は内側にいながら、同時に外側にいた。尽きることのない人生の多様性に魅了されつつ、同時にそれに辟易してもいた。

スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』(村上春樹翻訳ライブラリー、中央公論新社、2006年、p.71)読んでいて飽きることのない文に満たされている本だが、といって訳者の村上春樹が絶賛しているほどにはのめり込めなかった。書…