姫野カオルコ『終業式』(角川文庫、H16-1、解説:藤田香織)★★★☆

まだ二冊目だが、姫野カオルコ中毒になりそう。というほどには何もわかっていないのだけど。ま、それは解説の藤田香織も言ってることで、要するにお楽しみが沢山残っていることなのかと……。

 この物語は、これまでの著者の作品の中で、一番「普通」の話です。軽はずみに「普通」という言葉を使うのもどうかと思いますが、それでもあえて繰り返したいほど「普通」。(p.345 藤田香織

もっとも「主人公は高校2年の八木悦子」(p.345 藤田香織)としてるのは、どうなんだろ。確かに出てくる人間の一番中心は八木悦子ではあるが、私的には遠藤優子が断然主人公なのだった。というか、そういうのは読者にまかす、と最初に書いてあったのだった。

この本では、登場人物が何をしたのか、どこで何があったのか、すべてが手紙のなかに秘められています。それを解くのは読者です。手紙やメモ、FAXの一つ一つにどのような想いが託されているのか、感じとるのも読者のあなた自身です。

引用したい箇所はいくつもあって、例によって自分用のメモにはしこたま書き出してしまったのだけれど、今はその遠藤優子をめぐるいくつかを……。

 いつもそうなの。
 きみはそうして、私も明るくさせる。悩みごとをグチるために会っていてさえも。
 いつもそうなの。
 きみはそうして、私を救う。私は自分でさえも気づかなかった自分の陽気な部分を、きみに引き出される。視界がクリアーになってすっごくたのしくなる。
 たのしくなるよ。だからきみはもう、やさしくしないで。もっとたのしくなることにきみが怯えるのなら、もうやさしくしないで。きみの代用を探して暮らす生活にも、限度ってもんがあるんだから。
 私があんなことをしたのは、それはきみのせいだよ、って言えないよ。そしたら、きみはまた私を恐れるだろうから。
 きみは女が男に求めることは、ユビワとか結婚とか、もうすこしリリカルに表現するなら、すてきなお食事とか甘ったるく肩を抱くこととか「一人だけを愛する」と言ったり自分の肝に銘じたりすることとか、そうしたことだけだと思ってる。
 きみの持ってる女のデータから、そう判断する。それはしかたのないことだし、そうした希望を抱く女の人もちっとも悪いと思わないけれど、私がきみに求めるものは、ぜんぜんちがう、もっともっとワイド画面な関係で、それでもアガペーではなくエロスであるということ、きみはわからなくて、きみはいつも、ただ私を励ます。いつもそうなの。そうして、私はきみと会うと黙ってなくちゃなんなくなる。
 それがいいなら黙ってるけど、黙ってるときみが遠い遠いところにいるんだなってよくわかる。トーゼンなんだよ。きみはうんと遠くにしかいないんだからさ。じゃあさよなら。(p.201)「怯」に「おび」、「肝」に「きも」、「銘」に「めい」のルビ。

 俺は、昨夜、うまく言えなかったけど、昨夜の今日で、ちょっと二日酔いで迎え酒をしてしまって、ぐったりしてるから、思い切って書くけど、遠藤のこと、ずっと好きだった。ただ、いわゆる「好き」というのとは違って、複雑なかんじの「好き」だった。だから、無責任に「好きだ」って言えなくて、言わないことにしてた。八木のこともあったし、よけい言えなかった。八木と天秤にかけて、っていう意味での「好き」ではなくて、うまく説明できなかったし、今もうまく説明できないけど、世の中の「好き」というのとは一種ちがうかんじで「好き」だった。それでいて、友情というのとは違って、ほんとに今だから言うけど、女として好きだった。それは自分でわかってたけど、口にしたり行動で表現したりすると無責任になるようにしか思われなくて、言えなかった。心から幸せを祈る。遠藤ならきっと最高の奥さんになるよ。(p.306)「天秤」に「てんびん」のルビ

 卒業式の日、図書館のわきの階段のところでたづるちゃんが泣いていた。修二くんが東京に行くから。あとで聞いた話だが、彼らは長寿山で初キスをしたらしい。そんなことをしてた人もいたのか……。私なんかイヤってほどラブシーンを書いたが実際にキスをしたのなんか、ほとんど最近なのに。(p.341)

最後のこれはあとがきだが、他のと同じように「手紙として」おかれている(「あとがきにかえて 姫野カオルコ」とある)。こんなことされると余計な勘ぐりを入れたくなるのだが、姫野カオルコを知らない私には無理なのだった(白状しておくと、姫野カオルコなんて名前を付けるヤツを私は信用してなかったのだ。名前で判断なんてね)。