内田聖子『あなたのようないい女』(日本文学館、2010-1)★★☆

「明星」は金食い虫で、鉄幹は惚れっぽい男であった。
 しかし、そんな夫への嫉妬、憎悪の念が、彼女の情念となって独自の歌境を深めていく。晶子は、鉄幹なしでは歌をよむことも、子供を産むこともできないのであった。その点で、晶子のいない鉄幹は存在しうるが、鉄幹のいない晶子は考えられない。(p.116)

景山英子、清水豊子(紫琴)、樋口一葉与謝野晶子川上貞奴松井須磨子の六人を「いい女」として俎上に上げた評伝。一葉、晶子以外はほとんど知らないに等しかったから勉強になった。

序では清少納言紫式部(それぞれが仕えた中宮定子と彰子)にも触れている。この序は前著『清少納言 紫式部 王朝イヌ派女VSネコ派女』(未読)のおさらいでもあるようだ。

キレのいい文体と要所を的確に切り取っている評伝は面白く、一気に読めてしまうが、何故「いい女」や「王朝イヌ派女VSネコ派女」をキーワードにしなくてはならなかったのか。営業のためにしても、私にはこれが残念でならない。

 定子も彰子も庶民にはほど遠い高貴な地位にありながら、生き方はなんと人間的なのだろう。権力者におもねる平安貴族の世界、権謀術数のうずまく男たちの集団は現代の社会の比ではない。そのなかで知性、品格、感性、ともにすぐれ、優しさを失わず、自分の意見を持って生きた定子と、彰子はほんとうに“いい女”であった。
 現代でも思いやりや恥じらいを持って、自分らしくイキイキと生きるあなたは“いい女”なのである。(p.17)

こんなふうに無理矢理「いい女」でくくらなくても、と思ってしまうからなのだ。この際だから、こういうくくりのようなことは一切やめて、歴史に埋もれてしまいそうな女性たちを片っ端から評伝しまくってくれないものか。