2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

トムが死んだことがショックというのではなかった。そうではなくてその葉書を読むそのときまで僕の中に確実に生き続けていたトムとは一体、何物なのかということだった。半年以上前に死んでいたトムは、それを知らされなかったというたったそれだけのことで、僕は生きているトムとして感じたり思い出したり遊んでやりたくなったりしていたのである。少なくともこの半年の間、僕は生きているはずのトムと付き合っていた。

大崎善生『パイロットフィッシュ』(角川書店、H13年、p.79)学生時代からの先輩のI氏が8日に亡くなったという知らせを昨日聞いたのだが、このことは私の中ではとっくに整理を付けていたはずのことだった。遡れば、もう治る見込みがないと聞かされた半年前(…

古典的な哲学書の多くを味わい深く読めるようになったのは、哲学ノートを書いていた頃から三、四十年経過してからである。自分の抱いた哲学的問題と世に言う哲学とを接合するのに、三、四十年かかったことになる。今、私は『純粋理性批判』や『論理哲学論考』を味読することが出来るが、それでも、そこに、かつて自分が書いていたノートへの応答しか読めていないと思う。

図書(岩波書店)2008年12月号、p.1 永井均「読まずに書く」上の文で全体の1/3だから、全部載せてしまいたいところ。でもそれだと何なんで、是非是非「図書」をお読みくだされたく……。「読む前に書いた」という永井均に俄然興味が湧くが、哲学というのがなぁ…

私は歩きだした。

「なんでもいいから、もうついて来るな。俺は忙しいんだからな」 「忙しいって言う人間ほど閑なものだ。閑であることに罪悪感を抱くから、やたら忙しいと吹聴したがるんだね。だいたい、本当に忙しい人間が古本市をブラブラしているのは理屈に合わないぜ」 …

暗い五燭の電球が描き出す壁の二つの影法師は微動だにせず、家のうちもしんしんと静かで、火鉢の燠の、尉となってはらりと落ちる、そんな音まで聞こえそうな夜であった。

(注:「燠」に「おき」、「尉」に「じょう」のルビ) 宮尾登美子『藏(下)』(角川文庫、H10年、p.182)「尉」は炭火の白い灰の意。実は、上巻の途中までなかなか乗れずに、投げだしてしまおうかとも。が、あるところまで来たらページをめくるのももどかし…

いま世のなかもずい分と進んで、鳥目の原因について先生も教えてくんなさるようになったろも、私の子供の時分にはよう判らねかったし、ほうして鳥目はべつに珍しくはねかった。

どごの家でも、親戚がふえるがんはもの入りらすけというて、内々同士で縁組したもんらったしの。 それを考えっと意造よ、誰をも責めることはできねわね。 烈ひとりにその報いが来たがんはほんんにむごいろも、いまさら原因をさがし出すよりも、なるべくこの…