パット・ムーア『私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること』(朝日出版社、2005年、木村治美:訳)

原題/Disguised: A True Story by Pat Moore 『変装−−私は三年間老人だった』(1988年)の復刊。ロジャー・コールマンの推薦文、チャールズ・ポーン・コンのプロローグとエピローグ、著者の「二十五年を振り返って」というあとがきも付け加えられている。訳…

プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』下巻(草思社、1997)

わたしが何も話さないうちから、なんと多くの人がわたしについて語ってきたことだろう。なんと多くの人がわたしの写真を撮り、それをいかに自分勝手に使ってきたことか。虐待され、辱められて、なお生きている貧しい村娘を、人々は軽蔑してきた。 助けを求め…

プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』上巻(草思社、1997)

母は、その子にお乳をやらないことに決めた。それでその子を育てるのは、わたしたち姉妹の役目になった。母は畑の仕事がいそがしく、とても赤ん坊の面倒は見ていられないというのである。わたしたちはなんとかして、ミルクを調達しなければならなかった。そ…

アラン・ムーア、デイブ・ギボンズ『WATCHMEN ウォッチメン』(小学館集英社プロダクション、2009年)

世界は偶然の塊だ。パターンなんて、見る者が自分の空想を押し付けただけだ 本当は意味なんかありはしない この最低の世界を創ったのは、形而上学的な超越力じゃない。子供を殺したのは神じゃないし、その死体を犬に喰わせたのも運命なんかじゃない 俺たち人…

日本語が主語や目的語がなくてもなりたつのは、日本語が具体的な「対話場面」への依存度が高く、いつでも「聞き手」の存在を想定しており、「話し手」の発言や文が「聞き手」によって補完され、完成されることをあらかじめ期待しているからであろう。

本(講談社)2008年12月号、p.29 村岡晋一「対話の哲学」ドイツ系ユダヤ人の思想家がどうのこうの、と始まったので飛ばし読みしていたら、後半急に身近な話になって、これがとても面白い。 ただし、最近日本で語られるようになった「対話の勧め」には注意し…

たとえば、トムソーヤやハックルベリーフィンたちが彼らだけで無人島へ行ったり、猫の死骸とか、大人が顔をしかめるような宝物を隠し場所にしまいこんで喜んだりする。あれと同様の行動を、いまの大人は許さないでしょ。

村上義雄編『[フォト・ルポルタージュ]子ども やがて悲しき50年』(太郎次郎社、1995年、p.159) ざっくばらん討論 これからまた、変わり始めるんじゃないかな 出席=井上ひさし、落合恵子、石坂啓 司会=村上義雄 での村上の発言許したら、その大人も許さ…

山の貯水池の傍にある川魚屋に鯉を買いに行って、潜水艦の影みたいに泳ぐ大きな鯉を引き上げて、店の主人が金槌みたいなのでガツンと頭を殴ったときはびっくりしました。

それをぶつ切りにしてもらって、家の台所で包みを開けると、大目玉みたいな元のまま取らないウロコが一斉に逆立っていて、私は鳥肌立ちました。触れなくて家人に鍋へ移してもらい、さてこわごわと煮始めます。 鯉は骨もウロコも全部煮て食べるのです。一時間…

不朽の名作とうものはあっても、不朽の名訳というようなものは原則的に存在しない。

『グレート・ギャツビー』のあとがき、p.331 村上春樹「翻訳者として、小説家として――訳者あとがき」この文のすぐ前では「賞味期限のない文学作品は数多くあるが、賞味期限のない翻訳というのはまず存在しない」という言い方もしているが、そうだろうか。「…

それでも僕らのいる部屋の、明かりのともった一列の黄色い窓が、都市の頭上高くにぽっかりと浮かんでいる様は、暗さを増していく通りに立つ行きずりの人の目には、秘密めいた人の営みの一端として映っているに違いあるまい。僕はまたその行きずりの人でもあった。上を見上げ、そこにいったい何があるのだろうと思いを巡らしている。僕は内側にいながら、同時に外側にいた。尽きることのない人生の多様性に魅了されつつ、同時にそれに辟易してもいた。

スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』(村上春樹翻訳ライブラリー、中央公論新社、2006年、p.71)読んでいて飽きることのない文に満たされている本だが、といって訳者の村上春樹が絶賛しているほどにはのめり込めなかった。書…

そして時間はぼくなんかよりはずっと忠実に、ずっと的確に、その職務をこなしている。なにしろ時間は、時間というものが発生したときから(いったいいつなのだろう?)、いっときも休むことなく前に進みつづけてきたのだから。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋、2007、p.164)それにしても、この題名はなんなんだ。『走ること』や『走ることについて』ではいけないのか。『走ることについて語るとき』で十分でしょ(ちょっと違うか)。そういや、長い題…