パット・ムーア『私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること』(朝日出版社、2005年、木村治美:訳)

原題/Disguised: A True Story by Pat Moore


『変装−−私は三年間老人だった』(1988年)の復刊。ロジャー・コールマンの推薦文、チャールズ・ポーン・コンのプロローグとエピローグ、著者の「二十五年を振り返って」というあとがきも付け加えられている。訳者のあとがきも新しいもので、訳文も見直したと書いてある。

ずいぶん前になるが永井明の『80歳の世界―ぼくの老人体験レポート』(角川文庫)を読んでいたので、似たような内容(永井のよりこちらがずっと先だった)を想像したのだが、印象はかなり違ったものだった。

永井のが体に負荷をかけて老人に近づこうとしたのなら(むろん変装もして街に飛び出したところは同じ。そういえば永井はおばあさんになっていたからあれは女装で、ウケ狙い的要素もあったか?)、ムーアのしていることはどちらかというと原題の通りで、つまり変装に重きを置いているところがあり、最初の方ではSF映画のメーキャップ話を読んでいるような気分にさせられる。

ムーアの場合、変装をそれらしく見せるために体に負荷をかけたという印象がしてしまうのだが、考えてみると五十一歳の永井と二十六歳のムーア(どちらも実験開始時の年齢)では、同じ変装といってもそれこそ雲泥の差があってもおかしくない。

そうして「私は三年間老人だった」のである(三年間ずっとではないが)。この部分だけをみても変装の意味合いが違ってくることがわかるだろう……。

 ミルグラム博士がつぎのようにまとめてくださった。「ムーアさんの研究は演劇の技術を研究目的に応用したものです。彼女がおばあさんの役を演ずるというのは、『参加し観察する』の定義に当てはまり、したがって有効な研究方法であります」
 その日の専門家たちからの祝福にはつぎのような警告がついていた。「あなたは、変装によって実際には存在しない人物になっているのです。ですからいつも気をつけていなければなりません。人間には感情というものがあります。あなたと接触した機会に新しい友人になりたいと思う人がいるかもしれません。しかし、自分の見ている人物が見かけだけとわかったら、その人は精神的に大きなショックを受けるでしょう」(p.139)

 ジョージとは二度と会えなかった。私は年をとるということがどんなことなのか、ほんの少しわかりかけてきたような気がした。(p.163)

後半の文章はこれだけではちっともわからないと思うが、前半の警告を無視?した結果ともいえる箇所で、ここはぜひ本書を読んでもらいたい。

とはいえ、本当はこんなところではなく、例えば第十九章の「子供たちへの贈り物」からでも引用した方がいいような気もするのだが、それは私には特別目新しいことではなかった。私もムーアと同じく老人たちに囲まれて育ったからだろう。

もちろんだからといってムーアの言っていることを実践できているかどうかは別の話だ。私に老人への偏見はそうはないと思っているが、その前の、人間としてどうかという部分で厳しいところがあるので、そのことにはほとんど触れていない、つまり老人皆善人説(とは言っていないが)のような本書は、私には少々物足りなくもあったのだ。

それはともかく、イギリスのある病院の老人病棟で死んだ老婦人の残した詩には私も感銘を受けたので、一部だけを抜粋しておく。

いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心はふくらむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
(p.241)

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

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