不朽の名作とうものはあっても、不朽の名訳というようなものは原則的に存在しない。

グレート・ギャツビー』のあとがき、p.331 村上春樹「翻訳者として、小説家として――訳者あとがき」

この文のすぐ前では「賞味期限のない文学作品は数多くあるが、賞味期限のない翻訳というのはまず存在しない」という言い方もしているが、そうだろうか。「現代の物語」にすることを心がけたらしいのだけど、『グレート・ギャツビー』はどうしたって現代の物語ではないものね。

例えばある作品をもし同時代に翻訳したとして、その作品が古びるのと同じように翻訳の方も古びていくのは当然で、その古び方こそが時代というものを浮かび上がらせるのではないかと。

だから「古風な言い回しや時代的な装飾は、本当に必要なものだけを残し、あとはできる限りお引き取りを願う」必要などないし、ってそうか、村上春樹の『グレート・ギャツビー』はすでに同時代訳ではないから、それは訳者の考え方次第でいいんだ。でもだからって、不朽の名訳がないことにはならないし、そんなに繰り返し力説するほどのことなのかしら。

↓ネットにもこんなものが……。
村上春樹氏:ロングインタビュー 僕にとっての<世界文学>そして<世界> 第1回=翻訳の限度は50年
http://mainichi.jp/enta/book/news/20080512mog00m040033000c.html

080528-36