2008-12-24から1日間の記事一覧

日本語が主語や目的語がなくてもなりたつのは、日本語が具体的な「対話場面」への依存度が高く、いつでも「聞き手」の存在を想定しており、「話し手」の発言や文が「聞き手」によって補完され、完成されることをあらかじめ期待しているからであろう。

本(講談社)2008年12月号、p.29 村岡晋一「対話の哲学」ドイツ系ユダヤ人の思想家がどうのこうの、と始まったので飛ばし読みしていたら、後半急に身近な話になって、これがとても面白い。 ただし、最近日本で語られるようになった「対話の勧め」には注意し…