天童荒太『悼む人』(文藝春秋、2008年)

「人への優しい振る舞いや感謝される行為が一つでもあれば、十分です。ぼくには、人を裁く権利も、真実が何かを見極める能力もありません。ぼくの悼みは、ごく個人的な営みですから」(p.250) 坂築静人が奈義倖世に、悼みについて語っていたところ。他にも…

プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』下巻(草思社、1997)

わたしが何も話さないうちから、なんと多くの人がわたしについて語ってきたことだろう。なんと多くの人がわたしの写真を撮り、それをいかに自分勝手に使ってきたことか。虐待され、辱められて、なお生きている貧しい村娘を、人々は軽蔑してきた。 助けを求め…

プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』上巻(草思社、1997)

母は、その子にお乳をやらないことに決めた。それでその子を育てるのは、わたしたち姉妹の役目になった。母は畑の仕事がいそがしく、とても赤ん坊の面倒は見ていられないというのである。わたしたちはなんとかして、ミルクを調達しなければならなかった。そ…

シーソー象のお話しからも分かるとおり、たかだかマッチのラベルとはいえ、そこに描かれている風景は実に自由自在だった。蛙がウクレレを奏で、カモノハシが金槌を飲み込み、ひよこはパイプをくゆらす。郵便配達人が貝殻で海原を航海するかと思えば、お亀と福助は玉乗りに興じ、サンタクロースは泉で沐浴する、といった具合だった。そこにはデッサンの土台も遠近法も、もちろん理屈もなかった。ただそうしたものたちが、四角い狭い空間に、素朴な線と色で印刷されているだけなのだった。

小川洋子『ミーナの行進』(中央公論新社、2006年、p.114)本には寺田順三(装画、装幀)のマッチラベルも色付きでページの合間にいくつか載っていて、これはこれで素晴らしいのだが、奇抜さでいったら実際(といってもすでに骨董品みなたいなものか)のもの…