天童荒太『悼む人』(文藝春秋、2008年)

 「人への優しい振る舞いや感謝される行為が一つでもあれば、十分です。ぼくには、人を裁く権利も、真実が何かを見極める能力もありません。ぼくの悼みは、ごく個人的な営みですから」(p.250)

坂築静人が奈義倖世に、悼みについて語っていたところ。他にもっと適切な説明箇所があったかもしれないが、私には結局のところ、この静人の悼むということが、それこそ執拗に繰り返されて(まあ、それがこの本の主題なのだろうから)、その時はわかったような気分になるのだが、でも理解できなかったのだった。

 「ええ、亡くなってからしばらく経って訪ねるので……いわば常に手遅れの男なんですよ」(p.409)

理解出来ないばかりでなく、私には読み進めるのがきつい小説でもあった。著者の渾身の作なのだろう。そのことは巻末にある長い謝辞を読むとよくわかるのだが(まるで静人の悼み方と同じようなのだ)、なにしろ私は、最初の方の蒔野抗太郎に近い人間で、でもあんなふうには変われそうもないんだよね……。そういえば、甲水朔也の行動もやはり私の理解を超えていた。

それにしても登場人物が、ありそうでなさそうな名字ばかりなのは何故なんだろ。