プーラン・デヴィ(武者圭子訳)『女盗賊プーラン』下巻(草思社、1997)

 わたしが何も話さないうちから、なんと多くの人がわたしについて語ってきたことだろう。なんと多くの人がわたしの写真を撮り、それをいかに自分勝手に使ってきたことか。虐待され、辱められて、なお生きている貧しい村娘を、人々は軽蔑してきた。
 助けを求めて手を伸ばしたとき、だれもその手を取ってはくれなかった。わたしは厄介者、犯罪者と呼ばれつづけた。わたしはよい人間ではなかったかもしれない。だが、犯罪者でもなかった。わたしが男たちにしたことは、わたしが男たちからされたことだった。(p.243)

この本の出来がいいかどうかは少々疑問だが、読むべき本であることは間違いない。私などが何かを言ってもはじまらないので、その代わりといっては失礼だが、解説とあとがきから以下に引用させてもらった。

 しかし、「土くれと同じ」と言われつづけたプーランのカースト=マッラは、実は最下層のカーストではなく、その下には目も霞むほどの遥か下層まで何千という《差別されるべき》カーストが続いている現実を知ったら、読者も暗澹とせずにはいられないだろう。刑務所を出るまでに多くのことを学んだプーランも、最低だと思っていた自分よりもっともっと下に続くカーストの存在を知り、そこで何が起こっているかを思い、もはや選ぶ道はひとつしかなかったという。彼女はヒンドゥの軛を捨て、反ヒンドゥを旗印にする仏教に改宗した。同じ仏教徒のカシャーパ氏という伴侶を得、静かな、だが確実な目的の遂行に全情熱を捧げている、と聞く。裁判の過程では、もはや筆も舌も力を失うほどの苦難と虐待と腐敗の事実が明らかにされている。しかし本書が口述出版された意義は彼女の性的虐待や復讐の記録公開にあるのではない。――彼女の不屈で闊達にみえる語りの底にある悲しみは、あまりにも深くて、語ることなどできはしないのだ。それも我々は見過ごすまい。(p.249) 大工原彌太郎「解説――カースト社会の背景」 「暗澹」に「あんたん」、「軛」に「くびき」のルビ

 復讐への思いを心のなかから消し去り、新しい人生に向けて歩み出したプーランにとって、政治家ほどぴったりの職業はないだろう。いまだ貧困、階級差別、性差別にあえぐ多くの人々の代弁者として、プーランは今度はライフルではなく、政治の力で闘うことになる。選挙で第一党になったインド人民党のバジパイ政権が、わずか十三日間で崩壊したことにともない、社会党を含む国民戦線・左翼戦線連合は与党になった。貧困層の票を集めるための「お飾り」で終わらないためにも、こらからが本当の闘いになる。「虐げられた貧しい人々と、社会的な弱者である女性の権利の向上を目指す」という、一見なんの変哲もない公約が、本書を読んで彼女の半生を一緒にたどってきてくれた読者には、重く感じられることと思う。
 プーラン・デヴィの新しい闘いは、まだはじまったばかりである。(p.252) 訳者あとがき

本書には、こう書かれているが、プーランは2001年7月25日に自宅前で凶弾に倒れている(私がプーランについて読んだ記事も、このことだったかもしれない)。