彼らの作品が問いかけるもの、彼らが突きつけるモノの正体みたいなものを、ぼくは掴まえることが出来ない。彼らにとってモノの正体は、いつも頭の中を渦巻いているらしく、それをただ取り出しさえすればよいのだろう。

これらの作品を、ひたすら美しいと思うことがある。ただ恐ろしいと思うことがある。眩暈をおぼえることがある。しかし、どんなに優しく描かれている絵の中にも、本能を剥き出しにした放心の空しさが漂う。衆人の壁に囲まれた闇が拡がる。 彼らはひたすら何か…

2005年からローマで2年近くを過ごした。イタリア映画を研究するために留学していたのだ。友人たちには、「いいよねぇ、ローマに住めるなんて。毎日がローマの休日じゃない」とよく羨ましがられたものだけれど、いやいや、そんなことはない。僕がおくっていたのはあくまで「ローマの平日」であって、何もすべてがバラ色の日々だったわけではない。

ウフ.(マガジンハウス)2008年7月号No.073、p.10 野村雅夫「イタリアが贈る寓話、『1日3時間しか働かない国』から未来の人間が見えてくる。」いやいや、そんなことは、なくはない。本人以外には、ローマの休日でしかありません。080703-72

「明晰であるとはお茶を濁さないということ。高級そうな言葉でごまかすことから、最も遠い態度のことです」

朝日新聞2004年3月1日夕刊(署名記事:近藤康太郎)ウイトゲンシュタインの『論理哲学論考』の新訳(今からだともう2年前だけど)を出した野矢茂樹東大助教授の言葉。「今まですでに5冊の訳業があり、屋上屋を重ねることはしたくなかった。新訳を世に問うと…