中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』(中公新書ラクレ、2002年)

 私は日本社会が歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダニズムは「脱構築」を目指すばかりで、あるべき価値を語ろうとしない。価値を語ることの権力性ばかりを強調する。うんざりである。
 私は悶えていた。(p.15)

そもそも私がこういう種類の本と対面していることが、ちょっとなんなのだが(は?)、ある読書会での課題本だったのだ(主体性のない読書生活ではあるね)。

著者のデビュー作らしさにあふれた初々しい本だが、私は『中村屋のボーズ』同様、そう感心できなかった。RSSというヒンドゥ・ナショナリスト団体に飛び込んで共同生活を送ったことだけでも、なかなかできることではなく、もっと評価すべきなのだろうが、それ以前の、例えば「このような」を多用する文体(体験記部分はまだいいのだが)に嫌気がさしてしまったのだった。