篠田節子『百年の恋』(朝日文庫、2003年) 作中育児日記:青山智樹 解説:重松清

 真一は体をひねり、その未知の物体を見た。
「あ……」と小さく声を上げていた。それはエイリアンではなかった。
 確かに育ちすぎているのだろう。両手を開いて泣いているそれの顔は、真一があまりに馴れ染んだ顔だった。女の子だというのに、だれもがふりかえる梨香子の美貌の片鱗も受け継いでいない。天井を向いた丸い鼻と、狭い額、小さな顎……。真一の母親の顔、そのものだ。つまり母親そっくりと言われている真一自身の顔なのだ。
 めまいを感じた。自分そっくりのものが生まれた。自分の分身がこの世に出てきた。岡本には似ていない。まったく似ていない。しかし梨香子にも似ていない。クローンのような存在がそこにある。
 ひどい脱力感があった。
 あのノートにあったような感動など、ない。
 ただ、このまま死んでしまいたい、と思った。
 DNAの継承は済んだ。
 生物としての自分の役割は終わった。(p.222)

いやー、実に面白かった。とくに前半は(最後が腰砕けになってしまうのは致し方ないのだろうが)。けど、生まれたばかりの赤子と対面してここまでの衝撃(じゃなくて脱力感か)を受けるものなのだろうか(つまり私は受けていないのだ。ま、生まれたばかりに対面してもいないのだけれど)。

「仕事と家事と育児の両立どころか、三本立て、四本立てなんて、私たちがあたり前のようにやってきたことよ。たまに仕事が入るだけのあなたがそれをするのに、なんでぶつぶつ言うのよ。しかも自分のお腹を痛めたわけじゃないわ」
 理屈ではわかっている。しかしあたり前と言われることに抵抗があるのだ。(p.265)

うーん、ここまで言われてしまうと、ぐうの音も出ませんわ。

 秋山の言うとおりになど書くものか。これは僕の育児日記であって、「男の育児日記」などというのものではないからだ。(p.274)

作中育児日記は青山智樹が書いている。でも、ここは篠田節子(だよね)なわけで……ややこしい。