千惠子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ、
私は驚いて空を見る。
櫻若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
千惠子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる障uい空が
千惠子のほんとの空だというふ。
あどけない空の話である。
高村光太郎
『千惠子抄』(龍星閣、S32、p.81)

有名な『千惠子抄』の「あどけない話」。手元の龍星閣版の奥付に、初版は昭和16年とあるが、本の最後の「目次並作品年表」には「あどけない話」は昭和3年(の作)となっている。

昭和3年の時点で、千惠子にとっては、すでに東京には空が無かったらしい。感性が豊かでなければなれないであろう詩人の高村光太郎からして「私自身は東京に生まれて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出來ず」(p.128)にいたというのに。

というか、実際のことはもうわかりようがないのだけれど(煤煙など、現在とは違う汚染のされ方だったろうし)、「あどけない話」という題名からして、まだ「公害」という認識からはほど遠いところにあったのは間違いなさそうだ。

080820-113