最終的には、正義の味方バットマンが勝ち、人間性悪説は表面的には退けられるのですが、あらゆる汚い手段を使って、人間のモラル感覚を崩壊させようとするジョーカーという人間像から来る後味の悪さは消えません。それは、あらゆる人間は潜在的に敵だというアメリカ的世界観の反映だからです。

先住民が暮らしていた土地に乗り込み、銃を知らぬ彼らを銃で殺し、その土地に国を作ったアメリカ人にとって、また、よその土地から連行した黒人を奴隷として使って産業の基礎を築いたアメリカ人にとって、自分とは違う人種にいつ復讐されるかもしれないという強迫観念は、銃による武装憲法で保障するという国家意志に結びつき、自警団思想を正当化してきました。
犯罪者がつねに市民を狙っているゴッサム・シティとは、まさにアメリカのことなのです。

星星峡(幻冬舎)2008年10月号、p.104 中条省平「マンガだけでも、いいかもしれない。28 暗闇では、他人が、いつ復讐してくるかわからない敵に見える 映画「ダークナイト」とフランク・ミラー

中条省平は、連載2年をこえたという時評を「今回ちょっとだけリニューアルし」、文体も「です・ます調」に変えてしまった。「このほうが、いっそう広い範囲から話題を集めて書くのにふさわしいという判断から」なんだそうだが、そういうものなんですかい。この『ダークナイト』評は「だ・である調」の方がよかったんじゃないかと、私は思いますがねぇ。

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