しかし、ピアニストというのは一般聴衆には決してわからない、専門家にすら聞き取れない毛ほどのミスを悔いる種族なのである。ひとつ音をはずしたら死ぬのではないかと思いつめるように教育されているのだ。

図書(岩波書店)2008年10月号、p.56 青柳いづみこ「告別のバッハ」

ピアニストに限らず、プロ意識を持っていれば、どんなことであれ、似たような気持ちになるのではないか。

この私ですら「組版」の仕事で、一銭にもならないのに(つまり印刷屋からは文句などこないのに)、職業病的なこだわりで、我慢のならない文字の詰め加減などを見つけては、自分がやったものは密かに、他人がやったものには怒って、やり直させていた(なんで過去形で書くかなぁ)ものである。しかもその頃は、殺人的な忙しさが常態化していた、のにだ。

が、「死ぬのではないか」とまでは思わなかった。これがピアニストと写植屋の差なんだろう。いや、写植屋にだってそういう人はいたかもしれないが、私は死ぬ手前で悔いながらも妥協してしまっていたし、実際もうダメだと、大得意先の仕事を断ってしまったのだった。

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