今でこそ、芸者といえば古風な「女らしさ」の体現者としてイメージされますが、深川芸者は、男装、男名前、男言葉、気風のよさというような男粧、男振を売りにしていたのです。現代に置き換えるならば、男物のスーツ姿で、大輔とか、拓也とか名乗って、「俺、○○なんすよ」みたいなしゃべり方をする女性だったことになります。現代の男性が、そうした女性にお金を払って、いっしょに遊ぼうとするでしょうか? とてもそうは思えません。しかし、江戸時代の男性は、そうした男っぽい女性を、好んで遊興の供としたのです。しかも金子を与えて。

(注:「気風」に「きっぷ」、「男粧」に「おとこなり」、「男振」に「おとこぶり」のルビ)
本(講談社)2008年10月号、p.41 三橋順子「日本人は女装好き?」

芸者分析はそうなのかもしれないが、次の結論はどうなんだろ。「性別越境的なものを「変態」として否定する考え方は、キリスト教文化に由来する西欧近代の産物」にしても、「性別越境的なものを好む」「基層文化」は、日本に限らずある気がするのだが。

結果として、現代の日本社会は、性別越境的なものを好む江戸時代以前からの基層文化の上に、そうしたものを変態視して忌避する西欧近代の思想が重なるという二重構造になっているように思います。それは、明治以降の日本の社会がずっと持ち続け悩んできた矛盾の投影なのです。

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