私は子供たちのことも妻のことも愛してはいない。

彼らは私の前からいなくなっても何ら問題のない存在である。いつ死んでくれても構わないと常に思っている。彼らは私の人生にとって厄介者である。すくなくともその必要性を遥かにしのぐほどに私の人生の阻害要因であろう。

白石一文『この世の全部を敵に回して』(小学館、2008、p.12)

春先にまとめて白石一文を読んだこともあり、この本には期待していた。けれど、最初にある「刊行者の言葉」に、これはK***氏という53歳で急逝した著者の知人の遺稿だということが、K***氏との出会いからはじまって、長々と書いてある。

単純な私は、それで(つまり白石一文の意見ではないのかと思って)少し萎えてしまったのだが、しかし作家が著者となって(自分の名前を明記して)他人の文章を発表するはずもないから、これはそういう形の作品なんだろう。にしてもここまでやるかしらね。

わざわざこんな手のこんだことをするのは、いろいろな理由がありそうだが、むろん私になどにはわかりようがない。お手軽小説はいらないと言っていたから、そういう部分を削ぎ取ってしまえば、こういう体裁も考えられなくもないが、であっても著者を入れ替える必要はないはずだ。

それとも、この世が不完全だという認識が、これまで白石一文が言ってきたこととは正反対だからか。そこに至る「死」に対する考察は長くて、少しイヤになってしまったが、霊魂話を持ち出したりするあたりは、これまでの白石一文と通じるような気がしなくはない。もっともいくらまとめて小説を読んだとはいえ、白石一文がどんな人間なのかをちゃんとは理解できていないので、これはかなりいい加減な感想なのだが。

それにしてもすごいよね、これ。「いつ死んでくれても構わないと」「常に」「思っ」ちゃってるのが。「愛してはいない」というだけなら、「愛する」ということが、いまだにのみこめないでいる私の言いそうなことなのだけど(「愛している」とは言えなくても、「愛していない」とは言わないさ)。

080926-150