長田弘『深呼吸の必要』(晶文社、1984年)

 じゃあ、どの「あのとき」が、きみのほんものの「あのとき」なのか。子どもとおとなは、まるでちがう。子どものままのおとななんていやしないし、おとなでもある子どもなんてのもいやしない。境い目はやっぱりあるんだ。でも、それはいったいどこにあったんだろう。ほんとうに、いったいいつだったんだろう。子どもだったきみが、「ぼくはもう子どもじゃない。もうおとななんだ」とはっきり知った「あのとき」は? (p.16)

こんなふうに「あのとき」探しができるのなら。そして、老いた旧友の蟇に、やあと、挨拶ができる(これはp.85)のならば。