かつて彼には宿敵「ゑ」がいた。隣の「わ」行でひときわ異彩を放っていたうえ、形状的にも「ん」に似たところがある「ゑ」は目ざわりな存在だった。おまけによく見ると「る」が自分を踏みつけているようにも見え、それが「ん」の自尊心をいたく傷つけた。だがその憎い「ゑ」もいまは亡い。くだらない小競り合いや馴れ合いに明け暮れる他の字どもはもとより敵ではない。意外と気にするのは「み」あたりだが、これもまあ最終音という自分の切り札をもってすれば恐れるに値しない。何といってもこれは、しりとりを一瞬にして終わらせるほどの特別の魔力

ちくま(筑摩書房)2008年11月号、p.65  岸本佐知子「ネにもつタイプ 連載・81 やぼう」

50音には「あ」行や「か」行などという区分けとは別の種族が存在するという。んで、それ相応の確執(「ん」の場合は野望らしい)や近親憎悪に同族意識と、どこぞの世界と同じような思念が渦巻いていて、「くだらない小競り合いや馴れ合いに明け暮れ」ているのだそうな。

「え」のきりっとしたたたずまいに襟を正さなくてはと思ったり、「み」や「れ」のしなだれかかるようなしぐさにどきっとさせられることはあっても、それは衣装(書体)によっても違うのだしと、少し甘くみていたようだ。

知ってしまったらしまったで、なぜ「な」「ふ」「む」「ゆ」には言及してくれなかったのかと、いてもたってもいられない気分にもなったのだが、でも、せっかく教えてくれた岸本佐知子には悪いが、金輪際今日のことは忘れよう! ひらがなに隠れた感情があると知っては、文を綴っていくのが難儀になる。そうでなくったって難儀なんだから。

081120-205