では、秀吉は何のために刀狩りをおこなったのだろうか。帯刀権を武士だけに限定し、身分の区別をはっきりさせるため、というのが藤木氏の考えだ。つまり、武器そのものの没収ではなく、武器を携行する「権利」を規制することが、刀狩りの目的だったのだ、と。

帯刀権という「権利」の制限こそが問題だったという指摘は、とても示唆的である。それは、近代国家の形成について考えていた私にも大きなヒントを与えてくれた。おそらく、帯刀権の問題は藤木氏が考えている以上の射程の広さをもっているだろう。帯刀権は、刀という武器を日常的に携行し、他者とのあいだで何か問題があったときには暴力によってそれに対処してもいいという「権利」をあらわしている。したがって、帯刀権を規制することは、刀をたずさえているかどうかで武士か農民かを見分けられるようにする、という以上の、身分制とのかかわりをもっているはずだ。
本が好き!(光文社)2008年11月号、p.15  萱野稔人「刀狩りの新しい理解から封建制のとらえ直しへ」(テーマエッセイ 心に残る新書たち)

藤木久志の『刀狩り――武器を封印した民衆――』(岩波新書)の紹介。私が補足する内容ではないので、さらに少しだけ続きを。

戦国時代までの中世の農民は、現代のわれわれが想像するよりはるかに自由に暴力をもちいていた。殺人犯を自分たちで処刑したり、他の農民とのなわばり争いを集団武装による力ずくで解決したり、というように。


この先も興味深いのだが、たった2ページとはいえ、丸写ししてもしょうがないので、なのね。

081108-193