アクセサリー売り場で勧め上手な店員に丸め込まれている母の姿が目に浮かぶ。自己顕示欲の強い母だからこそ、モノの呪縛から解かれて自由になりたかったのだろう。でも持って生まれた性格がそれをさせなかった。八年前の冬、六十七歳の年に心筋梗塞で倒れるまで、母は毎日、「無欲無一物」を念仏のように唱えながら、モノに埋もれて死んでいった。

阿川佐知子『婚約のあとで』(新潮社、2008年、p.157)

内容からは離れた引用で申し訳ないが、母の引越とそのあとの片付けを見ていたものだから、「モノに埋もれて死んでいった」という部分が焼き付いてしまったのだった。

そういう私も、どちらかといえばモノが捨てられない口である。といって、財力はないんで、店員に丸め込まれて買い物をすることなどないのだが。それに、これも個人差があるのだろうけど、何もかもが捨てられないというのではない。で、その捨てられないモノも人それぞれなのね。

あまりにも当たり前すぎることをさっきから書いているが、自分の母ながら、引っ越しで知ったモノに対するこだわりの差には、驚くことばかりだったのだ。

081122土 No.207