白石一文『ほかならぬ人へ』(祥伝社、H21年)

白石一文ファン?としては、これで直木賞受賞というのはちょっとという感じがしなくもないが、賞なんてタイミングとかもあるのだろうし、なにより本人が喜んでいるみたい?なんで、まあ、いいんでしょう。

単行本には、似た題名の「ほかならぬ人」探しの話がもう一つ収録されている。が、最後の場面で『ほかならぬ人へ』は「涙があとからあとから溢れてくるのを止めようがな」いのに、『かけがえのない人へ』では「一滴の涙さえ出てはこな」い。

ウケはいいだろうね、『ほかならぬ人へ』の方が。幸せな時間もやってくるし。でも二作品並べたところが白石一文らしいだろうか。

『ほかならぬ人へ』

 「私は、宇津木は全然平凡じゃないと思うよ。宇津木家ほどの名門に生まれてそれだけ普通でいられるのは、充分に非凡だよ。宇津木は、人のことだけじゃなくて自分自身のこともちゃんと公平に見られる人間だと私は思ってるよ。優秀な人間は幾ら平等な目線で人と接していても、自分だけはやっぱり特別と思ってるものよ。でも、宇津木は自分自身に公平だよ。誰に対しても普通に接することのできる宇津木みたいな人間は、きっとこれから伸びると私は踏んでる。だから、そんなに自分が普通だとか平凡だとか言うのはもうよしな」(p.149)

 「渚には靖生兄貴が必要な人だけど、靖生兄貴には麻里さんが必要なんだ。でも、そういうときは両方とも間違ってるんだよ。ほんとは二人ともベストの相手がほかにいるんだ。その人と出会ったときは、はっきりとした証拠が必ず見つかるんだよ」
 いままで思ってもみなかったことが口からすらすら出てきて、明生は内心びっくりしていた。
 「ふーん」
 「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しをおんなじなんだ」
 ますます荒唐無稽なことを言っている。が、頭のどこかではそういう考えが生まれてくる根拠を自分がすでに得ているような気もしていた」(p.156)

『かけがえのない人へ』

 「こうして俺に縛られているお前はお前じゃないんだ。どこにもお前なんていやしない。俺もそうだ。俺なんてどこにもいやしない。ただ、お前の目に映る、お前が感じる、お前が考えるこの俺がいるだけだ。お前もそうだ。ただ、俺が見るお前、俺が抱くお前、俺がこうして縛りつけるお前、そういうお前がいるだけだ。だから、お前なんてどうなってもいいんだ。どれだけ感じてもいいし、思う存分狂っちまってもいい。このまま死んじまったっていい。分かるか、みはる。お前なんてほんとうにどうなったっていいんだよ」(p.271)

 「俺はほんとうはこういう関係が一番好きなんだ。会いたいときに会って、やりたいときにやって、そのたんび後腐れもなきゃ、嫉妬も執着もない。無理して一緒に暮らして、お互いを縛りあったりあらさがしをしたりもしない。そういう関係が死ぬまでつづけば、俺はそれが一番いいと思ってるんだ」(p.288)

この黒木のセリフの前後の文章だけは、何故か「みはる」が「私」になっている(もっともきちんと本を調べ直したわけではないので、自信はないが)。

白石一文は『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』でも、ある章だけ登場人物名をカタカナから漢字表記にしていたが、これも何か意図してのことか。

作家になって初めて本当に読者の心にしみる作品が書けたような気がしています。まっすぐな恋愛小説です。御一読を! 白石一文

最後のは「ほかならぬ人へ 熱烈応援ペーパー」という書店に置いてあったチラシからの引用。