津田大介『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(洋泉社 新書y、2009年)

 このダイナミズムを更に突き詰めたのがツイッターだ。ツイッターはリアルタイム性が高く、気軽に他人の発言にツッコミを入れやすい構造になっているため、何かをつぶやいたあと、即座に反応が返ってくる。ある種メッセンジャーやチャットのような時間感覚と言えるが、チャットやメッセンジャーのように会話を始めたり止めたりしたい時にいちいち挨拶や確認をする必要がない。というのも、ツイッターで投稿されるテキストは独り言に近いつぶやきだからだ。相手を拘束する必要なしに、必要なときだけ独り言に対して反応が素早く返ってくる。この気楽かつリアルタイムにコミュニケーションできるという特徴に気がついたとき、初めてツイッターの面白さが理解できた。(p.50)

どうしてもツイッターに興味が持てないでいて、だからこの本を読んだというのではないのだが、読んだ後もまだツイッターには食指が動かずにいる。「気楽かつリアルタイムにコミュニケーションでき」たからといって私の場合、何も起きそうもないんだもの。というか、ツイッターって喋りの感覚に近いわけでしょ。喋るの苦手なのよね。でもアカウント登録、してみるかなぁ。なにしろブログが登場した時もしばらくの間懐疑的で、そのよさがわかったのは結局使ってみてからだったんで。

 モルドバの例も、イランの例も、ツイッター民主化運動をリードしたという意味で非常に注目すべき現象ではあるが、このことで、安易にツイッターを礼賛するのは危険な面もある。ツイッターの情報というのは言うまでもなく、公開のものだ。そして現状つぶやかれた情報の信頼性を担保する仕組みが本質的には存在しない。「#IranElection」というタグでは、情報の信頼性を高めるため、多くのユーザーによってデマ情報を消去していくという作業を丹念にやっていたが、そもそもイラン国内から発信される情報経路が限られている状況では、そうした正当性を求める作業にも限界はある。(p.96)

情報の信頼性については当然念頭においておかなければならないのは、他のサイト情報でも同じだが、「デマ情報を消去していくという作業を丹念にやっていた」ということ自体に問題はないのだろうか?

以下は巻末にあった勝間和代との対談から。27ページの短いものだが、ここだけ読んでも面白い。

勝間−逆に140字でさえあれば何でもいいから、自由度が高いんですよね。普通に今起きていることをつぶやいても、もちろんいいし、「TwitMusic」や「Twitpic」みたいに、自分が持っている音声データや画像と他のユーザーとの中継ポイントとして使うこともできますからね。
津田−ただ、それが万人受けするかというと……。
勝間−ちょっとキツいでしょうね。使いこなすには、自分の思いを140字にするスキルと、タイムライン上に流れる140字の雑多な情報を再構築するスキルが必要になりますから。(p.166)

ブログ以上にスキルがいるんだろうね。って、こうやってつぶやいていけばいいのかしら? しかし、そんなことにそう意味があるとも思えないんだけど。

勝間−いいじゃないですか、フォローしておけば。タダなんだから(笑)
津田−そういう考えがあったか!
勝間−で、その人のつぶやきは見なければいいんです。「TweetDeck」みたいなフォロワーをグルーピングできるソフトやツールを使って、つぶやきを積極的に読みたい人と、渡世の義理でフォローした人を分類しちゃえばいい。
津田−今、目からウロコが落ちました(笑)(p.171)

勝間−私たちは、今、ストア型メッセージ(時間の経過とともに消滅するのではなく、滞留し、のちに参照可能なメッセージ。メールなどが代表例)の世界の中で生きているわけですよね。たまに電話がかかってくると「そんな用件くらいメールで済ませろよ」ってイラっとするくらいに(笑)。それでなくとも情報過多の時代ですし、ことビジネスにおいては、もうストア型じゃないとツラいんですよ。その点、ツイッターはインタラクティビティの作られ方がストア型じゃないですか。タイムラインに流れる雑多な情報をリアルタイムに追いかけて、自分で優先順位をつけてパパッと処理することで話が進む仕組みになっている。実際に送られてきたビジネスメールや、やらなければならない仕事のタスクを処理するのと同じような感覚でつぶやかなければならないのも、ツイッターが新しかったポイントですよね。(p.173)

私の一番苦手とする部分かなぁ、「パパッと処理する」っていうのは。ツイッターに興味がないのは、だからなんだろう。使いこなせないのが目に見えているからね。

勝間和代も普通の人にはすすめないていないようだ。このあとで「ブログからはじめればいい」なんて言っている。そのブログだってちゃんと使いこなせてない私ではねぇ。

 ツイッターが「思考や感情をP2Pでゆるやかにつなぐサービス」だ、というのは筆者のかねてよりの持論でもあり、これを最初に思いついたのは08年2月23日のことだ。まさに、何気なくタイムラインを見ているときにパッとひらめいたこの考えをどこかに残しておきたいと思い、即座にツイッターでつぶやいた。
 「そうか、twitterは思考のP2Pだからおもしろいんだな」
http://twiteer.com/tsuda/status/744792502
 これをつぶやいたときは、その1年半後に自分がツイッターについての本を書くことになるとは夢にも思わなかったが、このつぶやきが「記録」として残っていたことで、そのときにどのような思考を経てこの結論にいたったのかはっきりと思い出すことができた。それが本書の執筆においてもかなり役に立った。思考がP2Pでつながるというのは、他人の思考とつながるだけでなく、自分自身の思考が数珠つなぎになっていくことであるのかもしれない。(p.188 あとがきから)