しかし、この類的存在としての人間の解放という理念には、その底に、いかにも北的な重要なモチーフがかくされていた。それは人間は、共同的なものであるべきだという要求で、これこそ彼がおのれを社会主義者とみなした理由の根本であると同時に、彼がのちに擬ファシスト的な転落をたどらねばならなかった、秘密の核心にほかならなかった。

渡辺京二北一輝』(朝日選書278、1985年、p.107)

昨日の勉強会(最近出席率があまりよろしくない)で取り上げられた本。内容の濃い本だから油断するつもりはなかったが、前に1度読んでいるという気のゆるみがどこかにあったらしく、2度目もあえなく沈没した(読解力がない上に、今回は半分しか読まずに参加してしまったからなぁ)。

北一輝は、そのわかりにくさが衰えぬ人気(といったら渡辺京二に叱られてしまいそう)だが、一輝の思想を現代にどう生かすかとなると、答えは見つけにくい。やはり過去の人という気がしてしまう。戦略家という評価にしても、そして本当に二・二六の理論的首謀者だったとしても、それは失敗してしまっているわけだし……。

080621-60