駅の向こう側には、上沼町というクリスマスが大好きな新興住宅地があって、全世帯で豆電球を窓の外壁に点滅させているが、電気はつけたら消せと習わなかったのだろうか。家電製品の会社にいたから気になるのか。夏場の東京電力があれだけ低姿勢で節電を呼びかけてもこのザマか。「上沼町に原発を」私は駅向こうに行くたびに思う。幸せは家の中でやってくれ。家の塀にぶらさげるのは「落とし物」とか「球根差し上げます」とかで十分ではないか。そしていつも思う。社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷を見れば

絲山秋子沖で待つ』(文藝春秋、2006年、p.25)

引用は、表題作の他にもう1篇収録されている『勤労感謝の日』から。

私もこうやって、目に飛び込んできたり頭に浮かんでくるものごとに、迫力ある悪態を次々とついてみたいのだけど、なんかしょぼくれてんだよな、私がやると。息切れしちゃうのは、悪態つく才能もないってか。

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