そういう母の気持は、痛いように手紙からにじみ出ている。しかも、そこに描かれている生まれたばかりのわたしの姿は、私の意識にも記憶にも、何の痕跡も残していない貧相な赤ん坊である。その赤ん坊を、母は母親の眼でさばを読み、「七百匁」で生れて「一貫匁」になったといい、「大変おとなしい」といい、「御先祖様にも似てゐるとおっしゃる方」もあると告げ、「本当に男らしい顔をして居ります」と、親の欲目を十二分に発揮しながら活写している。

江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫、2001年、p.133)の『幼年時代』から
(注:「さば」に傍点ルビ)

江藤淳が書いているのは母親の手紙についてだが、私も最近、私が2歳当時の母の日記を目にする機会があった。学のない私の母と、母より一回りほど上なのに日本女子大の英文科を卒業したという江藤淳の母親の書いたものを比較するつもりはもとよりないが、それ以前に、私の母の、私に対する記述が少なく、ああ、私が自分の子供にそんなには関心がないのは、そういうことかと得心したところなのであった。

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