私は後に彼女に象徴される当時の進歩的日本人の思考方法の欠陥について「鳥目の日本人」という論文の中で批判したが、「樺美智子は自分で自分を踏み殺した」としかいいようないと記した私の表現を、出版社はこれだけは削ってくれと泣き込んで来、ならば掲載は取りやめても結構と伝えたら、発刊された雑誌には無断でその部分が削除されていた。

江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫、2001年、p.189)に収録されている、石原慎太郎『さらば、友よ、江藤よ!』から樺美智子ちゅーたら当時はジャンヌ・ダルクみたいな存在だったから(ってよく知らないのだけど)、出版社も譲れなかったのかもしれない…

そういう母の気持は、痛いように手紙からにじみ出ている。しかも、そこに描かれている生まれたばかりのわたしの姿は、私の意識にも記憶にも、何の痕跡も残していない貧相な赤ん坊である。その赤ん坊を、母は母親の眼でさばを読み、「七百匁」で生れて「一貫匁」になったといい、「大変おとなしい」といい、「御先祖様にも似てゐるとおっしゃる方」もあると告げ、「本当に男らしい顔をして居ります」と、親の欲目を十二分に発揮しながら活写している。

江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫、2001年、p.133)の『幼年時代』から (注:「さば」に傍点ルビ)江藤淳が書いているのは母親の手紙についてだが、私も最近、私が2歳当時の母の日記を目にする機会があった。学のない私の母と、母より一回りほど上な…

ホテルで食事をしているとき、西洋料理というものは男が一人で食べていても、何とか様になる唯一の料理だな、と私は思った。これから自分が死ぬまでに食べる西洋料理の回数は増えそうであった。

江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫、2001年、p.62)の『妻と私』から昨日は持ち上げたが、こういう江藤淳は好きになれない。で、ついでに、江藤淳(というより本名の江頭淳夫にだったかな)に怒っていた鈴木孝夫の『私は、こう考えるのだが。―言語社会…

時間の露わな姿に自分を直面させているのは家内の病気なのに、その家内が保証しているものこそが日常的な時間そのものなのである。だからこそ、玄関のチャイムを鳴らして扉が開き、家内と犬が出て来るのを見ると、その瞬間に安堵が胸にひろがり、私はたちまち日常的な時間に身を託すことができる。それがいかに一時の錯覚で、数ヶ月後には自分から奪われてしまうものだと自覚していても。

江藤淳『妻と私・幼年時代』(文春文庫、2001年、p.42)の『妻と私』から江藤淳が妻のあとを追うようにして自殺したと聞いた時、江藤淳でも自殺をするのだと、江藤淳をほとんど知らなくくせに、そしてそこに至る経緯などに興味を持つこともなく、簡単にそう…