2008-12-10 つまりぼくも春香もどちらも同じくらいのちっぽけな過去しか持っていないのだ。どこもでっぱってなくてどこもへこんでいない、とりかえたってかまわないくらいの月並みな十九年間。それなのに、そのちっぽけな記憶の山をふくらませて掘り起こして、勝手に意味までつけ加えて、手痛く傷ついたりとんでもない影響をおよぼされたふりをしている。ふりをしていることにも気づかずに、そのちっぽけな過去に取り囲まれてその中で呼吸しようとしている。 か 角田光代『カップリング・ノー・チューニング』(河出書房新社、1997年、p.143)人生ってそんなものかと思っていましたが……。10年前なんで「十円玉が次々と飲みこまれてゆく」公衆電話が最後の場面。「ぼく」は10年経った今、何してんのかな。知りたいというほどではないんだが、カッコばかり気にしてた19歳がどうなったか……やっぱり知りたくなってきた。081210-218